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Posted by 滋賀咲くブログ at

2019年11月29日   財は一時の花、施して種となる

財に恵まれ、子に囲まれて、なにひとつ不自由のない生活をしているようだけれども、どこか寂しい。
此の世は妙なもので、自分だけうまい汁吸えないように作られています。自分の都合だけを考えていますと、友が離れ、家族に無視されて、孤独地獄に墜ちていきます。
 地球が回転しているように、人の世もクルクルと神仏がふるいにかけて平均化しています。
 貪って取り込んで隠し持つ・・・・ああなんというみにくい私の心・・・仏様はお見通しです。

 田は雑草のために損ない、人はむさぼりのために損なうとお釈迦様は、諭されています。
 どうも私のさびしさは、他への思いやりに欠けているところであり、財は天から授けられた一時預かりもので有ることに気づきました。
 自分はどれだけ他人のためにお金を使ったのでしょうか。
 どれだけ世のためにあせを汗を流したのでしょうか。
 そこに幸せを感じられたかは心もとないことばかりです。

 人の為に耕した田を福田と言います。死んで持って行けるものはこの福田で収穫したものだけです。そうしますと、私はどれだけ収穫があるのかはわかりません。どう探しても閻魔様のお土産が見当たりません。

 もらうことより与える方が生活が安定すると言います。
求める心から与える心へと生き方を変えていくのもいいではありませんか。

 奉仕活動は、自分の身を削ったものが最高です。
 飢えた獅子に我が身を捧げた雪山童子のように、他に喜びを与えると言う清らかな行いができれば、人生の幸福感を感じられるのではないでしょうか。



Posted by 住職日記 at 09:31

2019年11月28日   阿弥陀様は私たちを幸せにしてくれる

人それぞれ、いろいろな願いをもって生きています。
志望校に入りたい、あの会社に入社したい、あの人と付き合いたい、結婚願望、あの場所に一度行ってみたい、マイホームが欲しい、どうしてもあれが欲しい…
何かあると願掛けする人も多いです。

「今年一年健康でありますように」
「今年こそ夢がかないますように」

色々な願いがある中で本当の願いは何ですかと言われれば、他のことができなくてもこれ一つ叶えばいい、一番大事な願いをいいます。

私たちの願いを振り返ってみますと、自分のことや、自分の家族のことばかりではないでしょうか。
そんな中、社会のため、国のためにと多くの人の幸せを願い、自分のことを後回しにして力を尽くしている方を見ますと素晴らしい願いだなと感心します。

では仏さまはどんな本願、願いをもっていらっしゃるのでしょうか。

仏さまの願いは「破闇満願(はもんまんがん)」

仏さまの願いとはすべての人を本当の幸せにしたいという願いです。
その願いに生き抜かれる方が仏さまで、仏さまの中の王様の仏が阿弥陀如来です。

では、すべての人を本当の幸せにしたいと願われる、阿弥陀如来の本願の力とはどんなお力でしょうか。
無明長夜の闇とは、無明の闇のことです。無明の闇を破り、『衆生の志願を満てたまう』願いを満たす力です。



Posted by 住職日記 at 07:26

2019年11月27日   西近江七福神会の研修会に参加

11月25日、研修で、宮津天橋立まで行ってきました。
先ず、成相寺で、ご住職の御法話を聴聞いたしました。
先代の住職さんが、荒れていたお寺を復興された話しは感銘いたしました。そのなかで、7億円の五重塔は驚きでした。成相寺さんのお檀家さんは、40戸と少なく、西国33ヵ所の霊場の信者さんで運営されてることに感銘を受けました。
そのあと、盛林寺の参拝では、心のこもったおもてなしに、参加者一同喜ばれました。この寺は、細川ゆうさいの妻に明智光秀の子、ガラシャが嫁いで、父光秀の供養塔が建立されていました。
 来年は明智光秀の大河ドラマが放映されますので、一役有名になることを期待されていました。


Posted by 住職日記 at 08:12

2019年11月24日   仏道にならういうは、自己をならうなり

仏道とは、正しき教えを学ぶ道である。
此の世の中、善悪の心があって、どうしても悪の心が攻めてくる。
ちょっと気を許すと、物を盗んだり、うそをついたりして、自分の身を守ろうとする。体裁をつくろうことになる。なかなかありのままの姿ではいられない。うそをつくと、またうそで塗り固めてしまい、苦しみが増えてしまいます。ほんとやっかいなものです。
正直に生きることが自己の道なのであります。でも正直のは生きられない。
だから、仏道を修行するのである。仏の教えを身につけ、正しい道をまなび、身をきよめることである。
 お寺は、身をきよめるために、先人が苦労して建立されたのである。そのお寺を守ることは、先祖を敬い、後世の人々の幸せを祈るのである。
 先祖供養は、私たちの存在を知らしめるものであるとかたく信じています。


Posted by 住職日記 at 07:21

2019年11月23日   戒称二門(かいしょうにもん)はなんだい

 戒称二門とは、念仏と戒めを守ることで、人の幸せの道を説くものです。
 念仏とは、阿弥陀仏の本願を信じ、念仏を果てしなく唱えることです。阿弥陀さんは西方浄土におられる仏様で、阿弥陀様が出てくるお光りにであえれれば、人々のくらす世の中にすくい取ってくれると約束の光です。
 だけども、ただたんに阿弥陀様を信ずるのではなく、正しい行いをしなければなりません、其れが戒を守ることです。戒とは、人に迷惑をかけないと言う正しい道です。
 其れには最低五つがあります
 うそをつかない、殺してはならない、人の物を取ってはならない、
酒を飲まない、よこしまな考えをもたないです。
これらは、人として生きて行く為の法律であり、これを実践することが出来れば、阿弥陀様のお光りのなか、幸せに暮らせることでしょう。



Posted by 住職日記 at 08:32

2019年11月22日   11月22日の記事

私たちには様々な欲望があり、きりがありません。願いは人それぞれでしょうが、幸せを求める心の表われでもありましょう。物や心の満足を求めて――。

 しかし、神様には表と裏が一体であると聞きました。即ち、幸せ神には反幸せ神がくっついているとか・・・。
 それは、私たちが自分の欲望に凝り固まったものを戒める教えと思います。他の人への思いやり、他の人の幸せを思える心を養うためにお寺があると思います。

 少欲知足(欲を少なくして足るを知る)という教えがあります。七福神は宝船に乗っていらっしゃいます。”
 あまり欲張るなよ、足りてあることを知りましょう。布袋尊から恵まれて気付かせてもらえたら――。
 「笑う門には福来たる」「三門くぐれば七福ほほ笑む」。
 和やかな笑顔で、秋を楽しみましょう。



Posted by 住職日記 at 11:46

2019年11月21日   死後、私、地獄に墜ちるの

 昨日、ある女性のかたより、私が死んだら、地獄に墜ちるのと質問を受けました。
 その方は、人間関係を築くことができず、一人孤独に生きておられるのです。だけど決して悪い行いをせず、まじめに生きておられます。
私は、言いました。「あなたは、誰も他人を傷つけず、相手への思いやりの心を持っておられますので、地獄なんぞ墜ちるはずがありません。」
 毎日、悩み続けたおられます。私は、毎日、1日数回メールのやりとりをしています。
 悩み多い人です。念仏、写経は毎日続けておられます。其れで救われているようです。
 人間は悩み多い生き物ですが、悦びを感じられる生き物です。ああ人間って素晴らしいと感じてもらえる日がきっとくるはずです。
 其れを信じてもらえる日がくるまで、メールを送り届けようと思います。
先人が、「三悪道を逃れて、人間に生まれる事大いなる悦びなり」という要文を残されています。
 


Posted by 住職日記 at 07:27

2019年11月20日   無病息災を祈る

人は、健康で生きたいと願う。だけど悲しいかな。自分の都合で病気になる。あるいは事故や災害に会うことが多い。
寺や神社は、無病息災、健康や安全祈願をするところが多い。祈願したらお守りを授けられて、車や神棚、仏壇におかれています。
 昔だったら、自分の体によくないことが起こらないように、寺、神社にお参りする人が多かった。ところが、科学、医学の進歩でお参りするという行為が少なってきている。

当山では、家庭円満を始め病気平癒、交通安全などの祈願をやり始めました。
お寺は、しあわせになるところとして、お話させていただいています。
悪いものをはき出して、いいものをもって返っていただくようにしています。そして人の命の大切さはもとより、物の命の大切さを説いています。
 人形供養を始め、自分に見つける物が古くなって、捨てるときに供養しています。是れが物への感謝の気持ちをもって欲しいと考えています。
人生には、感謝の気持ちを持つことで、皆が幸せに暮らせると考えていますので、物の供養をいたします。


Posted by 住職日記 at 08:49

2019年11月19日   今こそ我らが本来の仏の心に立ち帰り鬼になるのも仏になるのもあなたの選択

 仏性とは、すべての生き物が生まれながらにもっている、仏となることのできる性質。仏心。覚性と言います。
 また仏のように情け深い性質。慈悲深い生まれつき。「仏性の人」 とも言います。
 ところが、悪の心をもっているので、苦しみに成り、私たちを思い煩わすのです。是れを煩悩と言います。
その苦しみから解脱するために、きびしい修行に入り、滝に打たれたり、座禅したり、お経を読み続けたりして、僧侶となり、人々に解脱した教えを説くのです。
 私たち、みんな仏性を持っていますが、生きるための欲望が強くなりすぎると、仏性が隠れて、自分さえよかったらいいとか、他人を傷つけたりとか、悪なる心に攻められて、悪い事をしてしまうのです。
 仏法は、悪い事することなかれという経文があります。悪い事を戒めをして、善なる心を起こし、功徳を積むことが人間として生きて行く道を教えているのです。

今こそ、我らは本来の仏の心に立ち帰り、鬼になるのも、仏になるのも、あなたの選択 クリック一つですね


Posted by 住職日記 at 04:41

2019年11月18日   いのちとは何でしょう

 いのちとは何でしょう?いのちとはもともと「息の霊」という意味だそうです。霊が息をするから、いのちがある。霊魂がやって来て、体中に極まる、それがいのちなのです。
 
 呼吸することはいのちを息づかせること。私たちは普段、無意識に呼吸しています。もちろん、呼吸しなければ人は生きていられません。
生きるために呼吸します。逆に言えば、呼吸するから生きていられる。いのちを維持できる。
そして、私たちは息をして酸素を体内に取り入れ、体中の細胞を活性化させているのです。

 つまり呼吸を深くすることで、私たちは気持ちが落ち着き、身体の感覚(眼、耳、鼻、舌、身 意の五感)が鋭くなります。
心が安らかになって、物事をしっかり見つめたり、見極められるようになります。
 
 仏教を弘めたお釈迦さまも、正しい姿勢(座禅)で座り、呼吸を深くして、瞑想をくり返した末に、悟りの境地に至りました。
情報があふれる時代、息苦しくなるこの時にこそ、呼吸を深くしてリズムを整えて、涼やかなる季節に自身を見つめ直したいものです。
そんな時にこそ、お寺参りで、新しい発見ができれば、生きていこうと思うのではないでしょうか。


Posted by 住職日記 at 09:02