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Posted by 滋賀咲くブログ at

2021年07月31日   朝夕冷たい風が庫裏の中を通り抜ける

2~3日前から、朝五時頃、冷たい風が庫裏の中に入ってきて、少し生き直すことができるようになりました。それまでは、日中の太陽の日差しで、生き苦しかったのですが、随分良くなってきました。でも、これから御盆を迎えるのですが、まだまだ地獄の苦しみが続きます。
明日は、本堂の掃除です。檀信徒の女性の方にお世話になります。
灼熱の暑さが続きますので、人々のお身体には気をつけていただきたい。最近では、熱中症で命を落とされている人がいます。ほんと気をつけていただきたい。こまめに水分を取って、涼しいところで過ごしてくださいね。庭のすぎ苔が、日差しで真っ赤になっています。こんなに暑いときに仏さまの里帰りがあります。暑いときだからこそ、仏さまに感謝する事で、人々が幸せに暮らせるのだなと思います。仏さまの慈悲の心が、生きている人々の心に慈悲と感謝の気持ちを持たせ、自分だけではない。相手に寄り添う事で、自分の身体を大事するのだと考えます。
自分の身体を気遣うことで、相手の優しさが出てくるものです。
そこに仏さまの教えに耳を傾けていただくために仏さまの里帰りがあるのだと考えます。
どうか、暑いときですが、お墓、仏壇をきれいにして、仏さまの里帰りの準備をしてください。そして、僧侶を迎えていただければ、大変うれしいです。


Posted by 住職日記 at 08:43

2021年07月30日   20年来の友人がこの世を去る

昨日、20年来、おつきあいしてきた友人がこの世を去っている知らせを聞いて、驚いています。この方は、20年前、脳梗塞で倒れ、奇跡的に助かり、半身の麻痺が残りましたが、お元気になられました。そうして、私との出会いです。出会ってからは、隠れていた才能を引きだして、絵画、書道、手話、点字などの興味関心をもって、ファーション界に躍り出て、世界の山本玄匠として、一躍の有名人になられました。東京やフランスのパリ、ドイツへとその名は広がりました。そうして、たくさんの作品をつくりあげられました。今は遺作品として残されています。
 わたしのお寺にも何度も足を運んでいただき、山門の絵画を寄贈されました。大変ありがたいことです。そういう人が亡くなられて、非常に悲しいです。この人は、若い頃、柿渋の染めの職人さんで、反物を染めては、生活を豊かに為れていました。わたしとは不思議な出会いです。惜しい人を亡くしました。


Posted by 住職日記 at 06:31

2021年07月29日   過ぎ去った日のことを悔いず

私たちの毎日の生き様を反省していますと、後悔する事があります。でもたちどまってはいられません。起こってしまったことは取り返しがつきません。後悔してもただただ反省するだけです。なにもかわりません。いつまでも心の中に引きずって悔やんだり、残念がったりしています。これこそお釈迦様のいう愚痴というものです。いくら愚痴をこぼしても、むなしいだけです。それが生きる人間なんです。その繰り返しで年を取るのです。そうしたら、もう同じ過ちをくりかえさないよう、学習するのだと思います。後悔しないよう、学び、成長するのです。おとしよりは、智慧の宝庫なのです。そのお年寄りに頼れば、いいのです。そうしたらうまくいくのです。
 目の前にみえない遙かなものにまで思いをはせることは人間のみ与えられた神のめぐみであります。この能力によって私たち人間が苦しみをうけるのです。神が人間にあたえた代償と考えるのです。
 人間が、毎日、反省して、もう二度と失敗をくりかえさずに、前向きに生きて行けば、どんなに良い人生が送れるのに、できないのが残念です。でもこれこそが幸せな暮らしがおくれるのだとわたしは思います。いつまでも、過ぎ去ったことを後悔してもしようがありません。どこかでリセットする事が必要であります。


Posted by 住職日記 at 10:15

2021年07月28日   恩を知る

四恩というて、この世には、天地の恩、国王の恩、父母の恩、衆生の恩があります。その中で天地の恩というのは、私たち生きて行くために大自然からうける恩恵に対する感謝の思いです。ところが、人間の豊かさを求める故に、自然の恵みを忘れ、挙げ句の果て自然そのものを壊してしまう恩知らずなことをしているのです。なんとも嘆かわしい事であります。この猛暑も、山を削り、道路のアスファルト、ビルデング、エアコンなど自然を壊していることに気づいていない。
 緑の大切さ、食物の大切さ、などを忘れている。たとえば、弁当が余ったので廃棄するとか、山の木岐を切り倒したおかげで、山はだかをしたことで、土砂崩れを起こし、人命に犠牲者をだしたりしています。これを恩知らずの行為ではないでしょうか。大自然というのは、偉大で、神のようなもの、これをいとも簡単に壊してしまうなど、罰当たりであります、先人は、やまや川の恐ろしさを知っていて、祠を建てて、お祈りしてきた。日本の伝統文化としてお祭りを幾世代も継承されて、神様の怒りに触れないようにしてきた。地域の安全を護ってきた事が、今では、簡素されてきている。ましてコロナ禍で、人と人との絆が失われてきている。これからの社会に不安をもたらしてきていることに危機感を感じる。後世の人々が安心して生きて生けるだろうかと疑念をもつ。
御盆は、恩を知るのにいい日本の仏教行事です。そして、この時期に先祖様が里帰りして、後世の人々の安穏をねがうのです。菩提寺にお参りしてお墓をきれいに掃除して、そして、仏壇の前に、施餓鬼壇をこしらえて、先祖様が里帰りできるようにいたしましょう。これが生きているものの恩返しです。恩返しこそが、人々が幸せに暮らせるための修行であります。


Posted by 住職日記 at 08:56

2021年07月27日   煩悩の火は己を焼く

灼熱地獄そのもの、いま、太陽の日差しで身も心も焼く尽くされています。我慢も限界に達している。涼しい部屋で、くつろぎたい。だけど、それをすると人間堕落すると考える。今、西日の入る部屋で、扇風機の風でしのいでいる。すると、何かがみえてくるのではないかと期待感でいっぱいです。今、関東、東北の台風がちかづいています。関西にはさほど影響がないと思うのだが、涼しくなるのを期待する。これがこの世に生きるということではないかと考える。
火には、貪りの火、怒りの火、愚かさの火、生老病死の火、苦しみ・もだえの火、様々な火によって炎炎と燃え上がっています。まさに太陽の日差しのようにメラメラと燃え上がっています。そんな中で私たちはいきています。古来風鈴という道具が作られました。めらめらと燃え上がる世に涼しさを感じさせてくれて、心安らかにする機能があります。昔の人が、よく風鈴を作って、涼を楽しんだものです。
心の中で、燃えるものがある。
それは身口意です。この三つで悪い行為に導くからです。悪い行い、悪口を言う、ねたみ恨みの心を持つことで、相手を傷つけ、炎をもえあがせる。これらの燃え上がる炎を沈めるには、仏の悟りの心ではないでしょうか。悟りを得るために、座禅をしたり、写経をする事で、雑念を払えば、少しは涼しくなるのである。それとお経を一心になって唱えていると、背中に、涼しい風が当たる。このときこそ、心の安らぎを感じます。
暑かったら、エアコンを買って、涼しくするというのは、短絡的で、何かむなしさを感じる。それよりも、自分で涼しくなる方法を考えた方が質素に生きられるきがします。人間は考える動物です。考えることが幸せに生きられる気がします。明るい智慧を生み出し、身体を動かすと健康的な暮らしができるようにおもいます、汗は、心のバロメーターではないでしょうか。汗をかけば、その分涼が楽しめるような気がします。




Posted by 住職日記 at 08:15

2021年07月26日   毎日暑くてたまりません

五輪が始まり、選手たちも猛暑に苦しんでいます。組織委員会も、選手の声を聞いて、対策を検討しているということです。
選手たちが、存分の力が発揮できるよう、してあげてほしいものです。
先日、子ども会のドッジボール大会を開催しました。これもしかりで、子どもたちが練習の成果を発揮できるよう私を含む役員
は、開催できる環境など、ととのえてきましたが、熱中症、ころな対策を充分に検討して、開催を30分繰り上げ、声を出さない、密にならない、マスク着用を徹底して開催しました。この大会も40回を数え、歴史ある大会です。失敗は許されません。
 そうしたら、、どうでしょう、天は味方になってくれました。早朝、雲が伸び、太陽の強い光線をさえぎってくれました。ありがたいことです。そうして、開会式をして、試合です。曇りの中での試合ができ、安堵です。決勝戦は夏の日差しの厳しかったですが。無事、全試合を終えることができ、保護者、役員はほっとしました。
これこそ、まじめに生きてきたからこそ、天が味方になってくれたのだと感謝しています。そして私は僧侶です。仏さまはまもってくれたと思っています。まじめに仏さへの供養をしていればいつかは、きっと成就してくれると信じています。


Posted by 住職日記 at 10:35

2021年07月24日   衆生の迷い、根本は我見なり

この娑婆世界に人間は、つまらぬ事で、毎日あれこれと迷い苦しんでいるものです。何故迷うかはその根本は我見というものであります。それでは、我見というのは、執着心です。つまり、ほしいものを手に入れたいという欲を貪り、得たものは手放したくないという心です
手に入れられなかったら、腹を立て、周りの人に怒り、迷惑をかけるのです。時には、法律を犯し、犯罪を犯すのであります。困ったものです。お金がなくて、万引きをするとか相手と争うとか、他人に迷惑をかけるのです。
迷いというのは、自分を中心にして世界を観察することで有り、快、不快の感情を表すのです。とくに不快とうのは、厄介な事で、居心地を悪くして、自分の悪い感情に周りの人に振りまくのです。こうなったら、そこから逃げ出しくなる。
 お釈迦さんは、無我の境地をいたることを説いたのであります。自我の反対語は無我であり。これこそ悟りの心です。
僧侶は、お経を説いて布施を頂く。それが、欲を出すので、布施の額を決めて、強制するのです。これを我欲である。そして相手を苦しませるのです。僧侶は、相手を苦しませるのではなく、苦しみから解放させることが、お経を読み、法を説いて、相手をリラックスさせるのです。苦しんでいる人を話をよく聞いて、相手を救うといったら、おこがましいのですが、あいての心に寄り添ってあげることではないでしょうか。
先日、栗東から泣きにこられて、そして、心を明るくして帰られました。これこそが僧侶のあるべき姿だと確信しました。


Posted by 住職日記 at 06:30

2021年07月23日   ご縁ある方の告別式を執り行う

私が社会福祉の仕事をさせてもらっているときに、お出会いしたご家族のご主人がなくなられて、告別式をしたいので、お願いできませんかという依頼にお答えして、本日、大津の斎場でいたしました。ほんと不思議名お出会いでした。
この世はご縁で人々が生きています、そして、人はひとりでは生きられません。先ず、親そして親戚。学校の先生、友達、社会に出れば同僚や先輩。上司、家庭がつくる配偶者そして子宝とたくさんのご縁で、一生を終え、次の世代に受け継がれていくのである、そこには人生のドラマがあり、喜んだり、泣いたりして、思い出をつくる。その人は、仏になって、後世の人々をまもっていくのである。
まことに不思議なことです。
 告別式の中の風景では、私こと僧侶の読経の声が響き渡り、まさに仏の世界に導かれて行くような、すがすがしい空気に包まれました。
 人との別れは、悲しいものです。その悲しみの中で行う告別式は、ご家族に忘れられないものにしたいです。それができたのが、私流の葬儀です。だけども、お出逢いしたひとに出会えないのは悲しいです。
人は、いつかはわかれなければなりません。この無常の世を語り尽くしたいと考えています。きょうは、感謝です


Posted by 住職日記 at 16:01

2021年07月21日   恥を知るは、勇に近し

人間、自分を省みる事ができる唯一の動物です。逆に言えば、自分の事を反省しない人は、人間と呼ぶことができないでしょう。
恥を知らないものは、人間的に失格である。私たち、社会生活を営んでいれば、失敗して赤っ恥をかく。そして、次に失敗しないように努力して成功に導こうとする。いわゆる人間的に成長して行くのである。ところが失敗しないものは、恥を知らない。失敗したくないから、絶対に自分からは動かない。失敗したら、他人のせいにする。失敗を畏れずに果敢に挑戦するから、勇ましいのである。その分、自分を振り返り、悪いところを修復しようとする。これが、リーダーとしての素質であろうと思う。能ある鷹は爪を隠すといいます。自分ではできないと考える方が、その人は出世するのではないかと思います。


Posted by 住職日記 at 07:34

2021年07月20日   欲は善でもなく悪でもない

私たちの身体には五感というて、眼耳鼻舌身を持っている。それぞれの働きで、欲が生まれてくる、眼で食欲を誘い、耳で楽しい音楽をきき、鼻でいい香りを嗅ぎ、舌でうまい料理を食べ、そして身体でスポーツを楽しむ。そこに善の欲と悪の欲の区別がない。ただ、貪り過ぎるから、他人を傷つけたりする、これが悪の欲である。赤ん坊の時にお母さんの乳をほしがる。そこで気をつけなければならないことは、節度を持った行動ができるかである。やり過ぎたり、足りない事があれば、欲を押さえる事ができなくなると、大人になったとき、欲を際限なく求めすぎたりする。又、幼子が、店の前でだだをこねたときに、親を心満たすまで、買い与えると、それが悪の欲になる。何でもすぎれば、欲を押さえる事にできなくなり、他人を傷つけることになり、不幸を招く恐れがあります。こうなってしまえば、社会の秩序がなくなり、餓鬼の世界に陥り、争いの絶えない事がおこる。
お釈迦さんは慈悲心を説いています、相手を思いやる気持ちを大切にするように行っています。思いやりとは、自分の欲をいかに押さえるかである。したい放題になれば、けんかをして、最後は相手の命を奪ってしまうことがあることを戒めています。つまり道徳心をいかに育むかである。
これは、親のしつけが大事なる。甘やかして舞えば、家庭内暴力が起こり、大変な事になるのです。小さいときに、他人を傷つけたりしてはいけないことを、教えておかねばなりません。いまや、しつけの学校の先生のしごとと任せるから、話がややっこしくなるのです。3歳のしつけは、大人になってもおぼえているといいます、鉄は熱いうちに打てといいます。
欲は、悪い欲にならないように大人は節度を持った生き方をしなければなりません。欲はいかに押さえるかであることを肝に銘じたいものです。


Posted by 住職日記 at 11:57