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Posted by 滋賀咲くブログ at

2018年10月31日   和顔愛語

和顔とは、明るい笑顔ということですが、なかなか笑顔ではいられません。なぜなら、苦しみ多いこの娑婆社会に生きるものは、笑顔ではいられません。そして愛語というのは、相手に思いやる言葉をかけるのです。苦しみ多い人間に、きびしい言葉をかければ、それだけダメージが大きく、生きて行く自信を失い、命を自ら失います。それでは、せっかくこのよに生まれてきて、悲しいです。生まれてきた以上は、明るく笑顔で生きたいものです。
私たち人間には、節目があります。二十歳は成人、60歳で還暦、77歳で喜寿、88歳で米寿、90歳で卒寿という風に、生きてきた喜びを感じ、そうして、命を終わるのです。その喜びを味わうことがないのは寂しく、悲しいです。自然の木のごとく、年輪を重ねたいというのが、願望であり、希望であります。人間はその喜びを感じられるのです。
そのためにも、和顔で生きられるよう努力をしていきたいものです。


Posted by 住職日記 at 15:45

2018年10月29日   仏法僧の意味

仏教というのは、堅くて、眠たくて、面白くないというイメージを持っておられるとよく聞きます。また、わけがわからないという人がおられます。
なんで、人が亡くなったら、お坊さんに葬式をお願いせんとあかんのやという質問を受けることがあります。
私は、亡くなったときに、仏の教えをお伝えして、残された遺族が、その人を偲んで、元気に生きていってもらうために、お坊さんに頼むものとお伝えしています。今では、お経の中身をわかりやすくしています。それに佛法僧の三宝を大切にしてくださいといっています。
佛 仏様から頂いたこの命、おかげ様の気持ちです
法 教えを聞いて、自分の生き方を振り返る
僧 仲間の和を大切にして、感謝する気持ち、つまり相手を思いやる気持ちです。
これを三つの宝であり、幸せに生きる教えを信ずることから、生きることが始まるのです。


Posted by 住職日記 at 08:37

2018年10月28日   貪り、慎り、愚かさを三毒という

人間には「、欲を思う心、怒りの心、愚かな心がある。これらを三毒といいます。私たち、生きていくものおいて、悪に落ちていく道であり、善の心をなくしてしまうのです。
 本日、南拝戸のお地蔵さんの開眼をしました。そのときに、地域の人が、開眼する前日に、お地蔵さんの周りを、きれいに掃除をされました。これが良い行いであり、功徳を積まれたのです。
 いきとし生きるものは、悪の心(三毒)を持っており、地獄を見るものであり、そんなときに、善の心を呼び起こすことを信心といいます。
 信心は、普通では起こりません。何かのきっかけで起こるのであり、それが、お地蔵さんのことをしたり、ご先祖様のご恩を感じることだと考えます。
 三毒を起こさないように修行することが大切であり、これが、世の中平和にすることではないかと私は考えています。



Posted by 住職日記 at 17:44

2018年10月23日   心が元気になる条件

心が元気になることは健康的な生活が出来るということです。
では、心が元気になることは三つの条件が在ります。
➀意欲です。脳のドーパミンをいかに増やすかであります。やってみたら楽しかったとか、行ってみたらまた行きたいという感情です。つまり、体験を求めて行動を起こすことです。
➁考え方です。マイナス思考では絶望的になり、悩みを増やし、行き詰まってしまいます。
③人間関係を持つことです。自分は一人ではない気持ちを強くもつことです。
この三つの条件を満たすのが、レクリエーションゲームです。これは、生きがいをもたらし、交わる楽しみ、競争意識、そして運動能力を高め、健康的な暮らしができるのです。
人は、交わることが、刺激となり、生きがいを見いだすことができるのです。


Posted by 住職日記 at 08:05

2018年10月22日   御十夜落語を開催します。

11月10日土曜日午後4時より午後8時30分
玉泉寺において、毎年秋の開催します。
今年は、念仏を唱えて、心を清くする修行します。この行事は、秋の実りに感謝して、心の潤いを感じていただきます。
そして、仏の教えを聞いて、自分の幸せを高めていきます。
そして、落語を聞いて、大いに笑い、健康を高めていきます。
夕食は、かやくご飯を提供しますので、参加をおすすめします。


Posted by 住職日記 at 10:42

2018年10月20日   南無とは

なむとは、頼む心であります。阿弥陀仏さまに頼みます。私を仏にして下さいということです。
私たち、衆生に生きるものは、生死の苦しみばかりです。どうか、私を救って下さい。苦しみから抜け出ることが、ほとけとなるという。
今、いきるとというのは、修行なのです。苦しみを耐え抜くことであります。苦を耐えると必ず、楽すなわち浄土です。浄土にいたることが、すなわち、仏成る。


Posted by 住職日記 at 09:16

2018年10月17日   無常の歌

香り良く色美しく咲き誇っている花もやがて散ってしまう
このよに生きる私たちとてもいつまでも
生き続けられるものではない。
是れが自然である
この無常の世、有為転変の迷いの奥山を
今乗り越えて
悟りの世界に至れば、もはやはかない
夢をみることなく
現象の仮相の世界に酔いしれる
と現実逃避かもしれない。
がしかし、是れは真実である。だから生きよう。




Posted by 住職日記 at 10:15

2018年10月17日   仏様の子

このよに生まれて来るのは、仏様の子なのです。この娑婆世界は、修行なのです、言葉を言い換えれば、忍土なのです。苦を耐えることなのです。生きていれば、たくさんの苦しみに出会い、それをまわりの人たちの手を借りて、楽に持って生き、そして年を重ねることが、生きとし生けるものの宿命なのです。、そうして、命を全うすることが出来れば、仏さまに出世するのです。生きている時間が長ければ、それだけ、楽しみが増えるのです。社長になって、多くの人々の為に仕事を与えたり、教育者になって、国のための人材を輩出したり、ものを造って、人々を喜ばせたりして、人としての喜びを与えるのです。此が仏様であり、人間の醍醐味ではないかと思います。そうして、偉い仏様に生まれ変わることができれば、最高なのです。だから、生きとし生けるものは、耐えて忍ばなければ、仏様になれないのです。


Posted by 住職日記 at 09:43

2018年10月16日   仏法には明日ということはあるまじき

 今、私は昨日の大蔵経会参加しして、壇信徒の心が一つになって執り行われたことを見て、すごいなあと感じました。ほんとにありがとうございました。
 その日を一生懸命することを学びました。ある人が言います。明日の分までするのがおかしいと言うのです。今をどう生きるのかを実行するだけのです。あしたことまで考えるのがおかしい。それより、今日の日の充実させるのが一番いいのです。
私も、明日のことまで考えないようにしています。だって、明日ひょっとしたら、浄土に往くかもしれないから。
と先徳は、そう説いています。


Posted by 住職日記 at 08:56

2018年10月15日   大蔵経会法要は素晴らしい

今年の大蔵経会は、来迎寺さんで厳修されました。壇信徒そして、住職、近隣の僧侶が心一つになって、素晴らしい感動をいただきました。毎年行われますが、人々が、仏様のために奉仕をして、目標のために、一つずつ問題を解決して、すがすがしい境地にいたって、他人への思いやりを造り、そして成満する喜びを達成する。これこそ
生きている喜びではないでしょうか。私はそう思います。
何かをやり遂げるには、失敗もあります。その失敗を重ねることがたいせつなことだと考えます。
 一人では出来ないことを、多くの人々の智慧が、私たちを成長させてくれるのです。これこそ、生きる目的であり、生きる楽しみが得られるのだと思います。
どんな難問も、解決できるのだとこの大蔵経会で学ばせていただきました。


Posted by 住職日記 at 07:57