欲望は、きりがないということです。一つの望みを叶えると、次の欲望が出てくる。其の欲望は、五欲といって、財欲、色欲、食欲、名誉欲、睡眠欲をもっている。
このうち、食欲、色欲、睡眠欲は、人間だけでなく、すべての生き物にあります。しかも生きて行く上において、種族保存ためにもなくてはならないものです。佛教では、たることを知る事を教えてます。後の財欲と名誉欲は人間のみ持っているもので、足ることを知らないのであります。つまり際限なく、追い求めていくものです。これでは休まることを知らないのであります。この欲が悪なのかと言われると、そうではない、悪は、むさぼるから悪道に墜ちるのです。人間の向上心は、欲を追い求めて行かねばなりません。
道を求めて、向上したい。少しでも人のお役に立ちたい。勉強したい。この欲は、正しい生きる欲なのです。
足ることを知らない向上心と限りなく生かされていることの恩返しとしての利他行へと大欲張りになりたいものです。
このうち、食欲、色欲、睡眠欲は、人間だけでなく、すべての生き物にあります。しかも生きて行く上において、種族保存ためにもなくてはならないものです。佛教では、たることを知る事を教えてます。後の財欲と名誉欲は人間のみ持っているもので、足ることを知らないのであります。つまり際限なく、追い求めていくものです。これでは休まることを知らないのであります。この欲が悪なのかと言われると、そうではない、悪は、むさぼるから悪道に墜ちるのです。人間の向上心は、欲を追い求めて行かねばなりません。
道を求めて、向上したい。少しでも人のお役に立ちたい。勉強したい。この欲は、正しい生きる欲なのです。
足ることを知らない向上心と限りなく生かされていることの恩返しとしての利他行へと大欲張りになりたいものです。
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08:53
子どもの頃、一つのまんじゅうを家族で食べるとき、均等に切ってと要望して、食べた記憶がよみがえってきます。今ではどうでしょう。そんなことをせずに、一つずつもらえる豊かな時代です。欲しいものが手に入る。行きたいところにすぐに行ける。便利ないい時代です。だけどそうできない人々がいる。貧しい暮らしの中では、欲しいものがてにいれることができない。そうなると、万引きしたり、盗んだりして悪い行いをしてしまう。
これを佛教では、悟りの心と言います。悟りは、自分の本心をいかに抑えるかであります。そうでないと、世の中安穏に暮らすことが出来ない。一つのまんじゅうをいかにわけて食べる喜びが幸せを感じるアンテナを育てるかであります。
これを佛教では、悟りの心と言います。悟りは、自分の本心をいかに抑えるかであります。そうでないと、世の中安穏に暮らすことが出来ない。一つのまんじゅうをいかにわけて食べる喜びが幸せを感じるアンテナを育てるかであります。
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08:07
もう、夏が始まります。これからうだるような暑さに苦しみます。これが生きると言うことです。苦しみからは逃れることはできないのが普通なのです。車を運転しても暑いです。スポーツをしていても暑い。何をしてもとにかく暑いです。でも生きていることは楽しいです。人間の知恵で、エアコンを作って涼しい環境をつくり、冷たいアイスクリームを作って、ひとときの安らぎを作ります。お寺もそうなのです。
仏像を拝んだり、歴史の産物を鑑賞したり、座禅をしたり、写経をしたりして、苦しみから逃れられるのです。
赤ちゃんが泣くのは、苦しみから逃れるために泣き出すのです。其の赤ちゃんの心に寄り添ってあげるから、泣き止み、心を満足させるのです。
お坊さんは、人々の苦しみから解放させるために、教えを説き、生きる安らぎを与えるのです。
だから、そういうお坊さんを育てなければなりません。
仏像を拝んだり、歴史の産物を鑑賞したり、座禅をしたり、写経をしたりして、苦しみから逃れられるのです。
赤ちゃんが泣くのは、苦しみから逃れるために泣き出すのです。其の赤ちゃんの心に寄り添ってあげるから、泣き止み、心を満足させるのです。
お坊さんは、人々の苦しみから解放させるために、教えを説き、生きる安らぎを与えるのです。
だから、そういうお坊さんを育てなければなりません。
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08:37
新緑の深い当山に、東近江の光明寺より、檀家の皆さんが、お参りにこられました。大変うれしいことです。
当山の縁起や両界曼荼羅、ねはん図、地獄図、極楽と地獄のわかり道の話をして、満足して帰られました。
お寺は、たくさんのお参りに来られることがうれしいことです。なぜなら、皆が幸せに生きているからです。そして幸せを祈るから、全国に7萬のお寺が建てられているのです。法話をきき、歌を歌ったり、落語をしたりして、仏様を拝むから、私たちを幸せにしてくれるのです。
仏様は私たちには見ることが出来ません。それを形に表したのが仏像です。
たくさん二は、数多くの仏像、石仏があります。それは、人々の幸せを祈る為に、あるのです。
当山の縁起や両界曼荼羅、ねはん図、地獄図、極楽と地獄のわかり道の話をして、満足して帰られました。
お寺は、たくさんのお参りに来られることがうれしいことです。なぜなら、皆が幸せに生きているからです。そして幸せを祈るから、全国に7萬のお寺が建てられているのです。法話をきき、歌を歌ったり、落語をしたりして、仏様を拝むから、私たちを幸せにしてくれるのです。
仏様は私たちには見ることが出来ません。それを形に表したのが仏像です。
たくさん二は、数多くの仏像、石仏があります。それは、人々の幸せを祈る為に、あるのです。
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07:43
先日、ある方のお母さんの満中陰の法要を営みました。一か月前にお母さんを亡くし、悲しみのなか、生活をなされてきました。そうしてようやく満中陰を迎えられました。もう、祭壇もなくなり、お母さんのいない暮らしが始まります。私は、読経の後、お母さんは、仏に生まれ変わり、家族の心の支えとして、いて下されます。なにか困りごとがあれば、静かに手を合わせてください。必ず、救われて、一筋の光が差してくれますと、お話させていただきました。
魂は、永遠不滅です。仏になり、私たちを見守っているのです。
ですから、仏様に恥じない生き方をしてください。
仏様は悪い事、善いことを見ているのです。悪い事を戒め、善いことをすれば、ほめていますので、自信もって生きていて欲しいのです。
私たちに幸多かれと願っています。
魂は、永遠不滅です。仏になり、私たちを見守っているのです。
ですから、仏様に恥じない生き方をしてください。
仏様は悪い事、善いことを見ているのです。悪い事を戒め、善いことをすれば、ほめていますので、自信もって生きていて欲しいのです。
私たちに幸多かれと願っています。
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06:34
昨日、滋賀同宗連の研修で、名古屋までいってきました。
そこで、ミニ靴づくりを体験してきました。何と難しいと感想を一言です。でも、歴史を感じさせ、そして此の技術に感動しました。
大昔は、裸足で歩いていたのに、わらじをつくり、地下足袋をつくり、現代では靴を作ってきました。これこそ人類の進歩であり、進化で有ります。
人は皆、進化するように出来ています。進化して、より豊かな人生を歩む物です。
そこで、ミニ靴づくりを体験してきました。何と難しいと感想を一言です。でも、歴史を感じさせ、そして此の技術に感動しました。
大昔は、裸足で歩いていたのに、わらじをつくり、地下足袋をつくり、現代では靴を作ってきました。これこそ人類の進歩であり、進化で有ります。
人は皆、進化するように出来ています。進化して、より豊かな人生を歩む物です。
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08:55
このよは、無常であり、生滅変化するところです。其の変化は、一定の条件によって変化して行きます。其の縁は目には見えないものが結ばれて、ひとときの形となって現れてくる。これはお釈迦様が悟られた真実で有ります。
人間もそうである。生を受けてこのよに住し、そしていつの間にか自然に帰るのです。ですから、いまの人間の姿は、いずれがなくなることを認識しなければなりません。
病気になったら、命乞いをするのは当然です。早く、もとの健康な姿を取り戻したいという気持ちになるのは当たり前の思いなのです。
だからこそ、いまを生きることが大切なのです。いまを生きると言うのは難しいことです。其の難しさが逃げずに、努力することが仏の教えです。仏の教えをきいて欲しいのです。善かったら聞きにきてください。
人間もそうである。生を受けてこのよに住し、そしていつの間にか自然に帰るのです。ですから、いまの人間の姿は、いずれがなくなることを認識しなければなりません。
病気になったら、命乞いをするのは当然です。早く、もとの健康な姿を取り戻したいという気持ちになるのは当たり前の思いなのです。
だからこそ、いまを生きることが大切なのです。いまを生きると言うのは難しいことです。其の難しさが逃げずに、努力することが仏の教えです。仏の教えをきいて欲しいのです。善かったら聞きにきてください。
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08:08
老いとは、人生を成熟させるという。ボアボールという人が、青春、大きくて、元気よくて、愛にあふれて、優美と力強き魅力にあふれる青春よ、君を知っているか、ひょっとしたら、老年といやつが君たちにおとらぬ優美と力強さを備えて君の後からやってくると言われています。
老いは決して、邪魔もの扱いをしては行けない。老いから学ぶなければなりません。昔は、長生きができなかったのであった。ところは、いまでは長生きが当たり前になり、百歳を超えられるようになった。幸せな時代である。老人から、たくさんのことを学ばなければならないと思います。そして、自分も老人になるのである。そして、自分が何歳まで生きられるかわからない。ひょっとしたら、明日死ぬかもしれない恐怖がある。だけど、このよに生きてきた証を作りたいと願って毎日暮らしています。なにか人の役に立っていることを自覚して、生きて行こうと思う。
老いは決して、邪魔もの扱いをしては行けない。老いから学ぶなければなりません。昔は、長生きができなかったのであった。ところは、いまでは長生きが当たり前になり、百歳を超えられるようになった。幸せな時代である。老人から、たくさんのことを学ばなければならないと思います。そして、自分も老人になるのである。そして、自分が何歳まで生きられるかわからない。ひょっとしたら、明日死ぬかもしれない恐怖がある。だけど、このよに生きてきた証を作りたいと願って毎日暮らしています。なにか人の役に立っていることを自覚して、生きて行こうと思う。
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02:20
観世音菩薩は一切の功徳を具えており、すべての人々を慈悲の眼で温かく見守っているのである。一切の人々を救おうという大慈悲心の功徳は海の水のように無量である。この故に、まさに一心に礼拝して汝らの模範とせよ。とと説かれています。
すべての人間が、やさしさと思いやりの心で生きていれば、このよは安らかに暮らせるでしょう。それが出来る世の中になって欲しいと願う。
すべての人間が、やさしさと思いやりの心で生きていれば、このよは安らかに暮らせるでしょう。それが出来る世の中になって欲しいと願う。
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14:08
「何事も楽しんでやりなさい。楽しんでやることで、思わぬ力が発揮されるものだから。」
孔子は、貧しい暮らしの中で、礼学を修め、仁(人間愛)と礼(規範)を導き出された。私たち福祉に携わる者一人一人、仁と礼でもって学びの心で暮らせば、きっと思いが成就でき、幸せに暮らせることを信じて生きて行きたい。
孔子は、貧しい暮らしの中で、礼学を修め、仁(人間愛)と礼(規範)を導き出された。私たち福祉に携わる者一人一人、仁と礼でもって学びの心で暮らせば、きっと思いが成就でき、幸せに暮らせることを信じて生きて行きたい。
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14:03