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Posted by 滋賀咲くブログ at

2022年10月22日   岡山県の玉泉寺住職が来られる

昨日、岡山県の玉泉寺前住職が、私どもの玉泉寺にお参りにこられました。
その方は、住職を息子さんに譲って、日本国内の玉泉寺を巡礼されているというのです、お年は、70過ぎで、第2の人生を歩んでおられると言うことです。うらやましい限りです。
でも、ご縁を求められていることに感激しました。
私としては、大変有りがたいことです。
今の時代、お寺は、少子高齢化で、減少の一途をたどっています。お寺は観光目的であったり、祈祷するところであったり、休むところであると考えています。
お参りが増えることで、お寺の維持ができるのです。
今、素晴らしいおトイレが完成します。これでまた、お参りが増えればと思っています。


Posted by 住職日記 at 15:48

2022年10月17日   大蔵経法要は終わる

今年は、新旭町の大善寺を会場に大蔵経の法要がつとまりました。
大善寺は、本尊は、大日如来で、天台宗として珍しいお寺です。この本尊は、平安時代のもので、国宝に指定されています。
大蔵経は、先人の生きる知恵がいかされています。高島には、十八ヵ寺で、檀家が少ないお寺もあれば、檀家の多いお寺があって、護持するだけでも大変さを嘆かれて、順番で回して、護持するする浄財を集めて、僧侶も、一同に集まり、お経をとなえ、先人の供養をして、子孫繁栄を願われてきました。
 ところが、いまの時代、少子高齢社会であって、どこの家でも跡継ぎがなく、人々の家が絶えて行く事が問題です。
 この大蔵経で、人々の暮らしの平安を祈り、家が絶えないように目指しています。
 僧侶は、十人以上集まれば、お経が素晴らしい音色を醸し出して、感動と希望が与えあられるよう、僧侶ひとりひとりが修練を重ねています。
 そういう大蔵経なのに、参詣者の少なさに残念です。コロナであるだけに、心寂しかったです。


Posted by 住職日記 at 08:49

2022年10月12日   宝の山に入りて、手を空しくして帰なかれなかれ

この言葉は、恵心僧都の残された言葉である。
信仰心というのは、阿弥陀様の世界にいてて、手をあわさず、何も思わないことである。せっかく阿弥陀の世界に来たのであるから、阿弥陀様のお顔を拝さずして、俗世間に帰ってしまうのは、なんと、もったいないことではないか。むなしくありませんか。それより、なにか一つみやげを持ち帰りたいものです。
生きる世界は、苦しみいっぱいです。そんな苦しみから、抜け出て、安らかな心になりたいと願望ではありませんか。
仏の教えは、私たちの心に安らかな心を与えるもののです


Posted by 住職日記 at 08:25

2022年10月10日   人生について、平安時代の書物をみてみよう

平安時代の書物に往生要集というものがあります。著者は恵心僧都です。この恵心僧都が、貧しい家の子供で、お母さんが、お坊さんにされたです。
富めるものは、未だ命長からず。寿命長きものはいまだ富めず。あるいは昨日富んで今日は貧し。あるいは明日に生じて暮れに死す。
盛んなるものは必ず、衰える。楽あれば苦あり・・・・と文章を作られたのです。
まさに、現代でも通じます。
人に命というのは、いつまでもあると思うな。今日生きて、明日死ぬのである。富めても、必ず、貧しい暮らしをせねばならない。これこそ真実なのです。


Posted by 住職日記 at 19:09

2022年10月10日   仏教とは

私たちが来世において善いところに往生できると安心をいただき、現世においては日々幸せに生きるために仏教があるのです。
法華経という経典のなかに「現世安穏、後生善処」と書かれています。
日照りが続いているところに現れたおおきな雲と雨にたとえて、私たちの暮らしに暑さと水不足で枯れかかっている草木に生き返らさせてくれるのです。
この世に出現するするときは、おおきな雲と雨のよう
心身とともに枯れている 草木を潤して 苦しみからの解放と、
安穏をと言う楽しみを
幸せという楽しみと幸せという喜びと、涅槃の楽を与える
子の大雲と恵みの雨を無欲清浄、専勤念仏と表しているのが真盛上人であります
無欲とは正しい心であり、善い心で有ります。
そのために、大日如来から釈迦如来につたえられた菩薩戒を護り、他人のしあわせを願うことであります



Posted by 住職日記 at 12:29

2022年10月09日   美浜町民15人が当山に来られる

本日、御浜町の町民の方が、15人が、高島市の歴史文化をふれに玉泉寺に来られました。
新旭の阿弥陀寺のお寺を散策して、田中神社の宝塔をみて、玉泉寺の六観音、五智如来、そして本堂に入って、阿弥陀如来をお参りして、そして私の法話をきいていただきました。
仏教は、人々が幸せになるための戒めが説かれている。仏を祈ると言うことは、禍を取り除き、安穏ななる暮らしを守るために、手をあわし、そして、実践することであると言いました。悪いことをしてはならないことが仏教の基本なのです。その悪いことを戒め、善をおこなうことなのです。


Posted by 住職日記 at 00:23

2022年10月05日   水子地蔵に紅いよだれかけを奉納されました

ある信者さんが、当山のお地蔵さんに紅いよだれかけを奉納していただきました。感謝しています。
お地蔵さんは、人々のかなえられないものをかなえて頂ける仏様です。地蔵様は、閻魔さまです。悪い行いをすれば、しかってくれるのです。そして善い行いにみちびいてくれるのです。



Posted by 住職日記 at 19:52