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Posted by 滋賀咲くブログ at

2018年02月27日   仏道を成就すると言う意味について

何かを志して、目標を達成できたこともあれば、途中で挫折してしまったということもあると思います。
例えば勉強のことで、しっかりできて結果に満足したという時と、まあまあでやっぱり後悔します。当然そこはやる気次第です。
そのやる気のスイッチが入らないと出来ません。
親が子供に勉強せよといってもやる気を起こさせるのは難しい。
その結果、子供のやる気は出なかったわけです。
自分がやる気になるかならないかは、人に促されることよりも、やはり本人の自覚がないとだめなのです。
しかし、そこはまだ入り口であり、無事にスイッチを押すことができても、そこからは親も周りも見守るしかない。
後は本人がどれだけ努力を持続できるかどうかです。何事も持続することによって物事は成就していく、つまり願いが叶うのです。
この話の中で、登場する子供は凡夫である私達であり、子供のためになんとかしてやりたいと想う親の姿は仏様の慈悲であります。
仏様はどうにかして、私達を導いて救おうと考えておられます。
仏様の教えを自分がどれだけ持ち続け、生活することができるか、信仰を持続することができるかが大事なのです。
勢いよく燃え上がっても、すぐに冷めていくような信仰ではいけません。人は何歳になっても勉強です。 学ぶことはたくさんあります。
色々な経験をすることも必要です。
そこに仏様の教えをプラスして、自分の目指すことが成就できると言います。
「やってやれないはずがない。やらずにできるはずがない。」
自分が納得いくところまでやる。それが成就に繋がるということです。



Posted by 住職日記 at 06:28

2018年02月20日   小川賀世子さんの偲ぶ会がありました

小川さんは、80歳でこのよを去りました。小川さんの功績は、多くの人々の心に残されています。
 人間、たくさんの人から慕われることはありましょうか。
 私もそうです。悩みを抱えたときがありました。そんな時、小川さん、は、私を支えていただきました。一緒に活動して30年です。刺激を受け、共に笑い、共に学ばさせていただきました。ほんと、惜しい人をなくしました。まさに有言実行、思ったことは、必ず、行動して、人々の手本を示してくださいました。
教育、福祉と多方面のことを関心を示し、私たちを応援していただきました。
私の心のなかに、小川さんの魂が生き続けるのだと思い、常に小川さんを功績を忘れずに、さらなる向上をめざして行きます。
これが、先人への感謝の心だと考えています。
いのちある限り、示して行きたい。



Posted by 住職日記 at 08:44

2018年02月14日   泰山寺野からびわ湖の湖面が広がる


冬のいい天気が続きます。数週間前がうそのような、高島の泰山寺野を太陽が照らされています。まさに一遇を照らす風景です。お日さんの陰になっても、照らしつづけています。阿弥陀様のスポットを浴びさせて、光輝く人にしてくれます。
だから、仏様を信じて、生きて欲しいです。
一に努力、2に忍耐の心を忘れてはなりません


Posted by 住職日記 at 10:24

2018年02月13日   東京の駅前のパチンコ店の従業員が除雪に汗を流す

先日、東京で雪がふり、駅に向かう歩道に雪が積もっていた。そこのパチンコの従業員は、通勤する人々の為に、歩道の除雪に汗を流していたそうです。普通なら、パチンコ店を利用するお客さんのために、雪除けをするのが、仕事の一環ですが、その従業員は、通勤客が来るまでに、ひとより早く起きて、歩道を除雪された方に拍手を送りたいです。店の利益のためにするのが、常識なのです。それが、人々の為に、行動を起こすことはなかなかできません。これこそ、仏様の慈悲の心を持って、生きておられる事を感謝です。
他人には優しくすることが、国の発展だと思います。自分の国だけが栄えたらいいという人々が多くなれば、それだけ敵をつくり、争わなければなりません。人々を不幸の暮らしにしなければなりません。お釈迦さんが、苦しみを抜き、人々の幸せを願うために、佛教を起こされたのです。みんなを幸せにすることが、阿弥陀様に浄土に導いて頂くのです。


Posted by 住職日記 at 11:23

2018年02月11日   このよの地獄から、極楽浄土の世界をめざして

人々は、このよの地獄を感じながら、生きているのです。常に満足できないとか、他人を見下したり、怨んだり、ねたんだり、争ったりすること自体、地獄の世界なのです。人間はエゴのかたまりなのです。そのエゴをお釈迦様は、慈悲と感謝の気持ちを持つことで、救われています。 
今、地域では、人々が人々のために、サロンがはやっています。このサロンは、高齢化していく人々が孤立することなく、生きがいを持って生きて行く為のサロンのです。昔の人々は、天寿を全うする間際まで、智慧を振り絞り、人々に安らぎ「与えて、自分の「もっている力を惜しみなくつかい、生きてきました。ところが、人類は進歩して、苦労せずとも、幸せに生きられる世の中になり、今が極楽のよのように思えてなりません。何もしなくても生きられるのです。ほんとありがたいことです。
 私たちはこのよに生きるときに、慈悲と感謝、この二つの心を養をないと、とんでもない悲しい世になるではないかと危惧しています。
 まずが、私をこのよに生まれさせてくれて、ありがとうから始まるのです。そして先祖のご縁はありがたいものです。私を〇〇家に生まれてきて、人々に愛されることができるのもご縁のお陰様なのです。
私がそう感じることがことが出来るのは、幸せではないでしょうか。
、、


Posted by 住職日記 at 01:47

2018年02月09日   南古賀の光盛寺において、だんご撒きを行います

此の11日の午前十一時より、お釈迦さんのねはん会を行います。
お釈迦さんが、2月15日の日に入滅された日であり、お釈迦さんを偲ぶ日です。
 私たちも、お父さんやお母さんが、亡くなられたことに対して、法事を行うこと同様に、感謝の気持ちを表して、どうぞ私たちを見守っていてくださいと祈る者です。私は、先祖様のご縁でこのよに生まれ、また人々の為に、尽くして、そして、次の代に送るのです。それが「このよに生きると言うことなのです。
 生きるとは、先人がなしえたことを受け継ぎ、のちの人々の為になすことであると理解しています。
 お釈迦さんは、たくさんの教訓を残されています。それは生きることことの苦しみを抜く道を諭してくれているのです。それを、私たち僧侶が説くことを、私の先祖がご縁を結んでくれたのです。
そのご縁を感謝して、ねはん会を行い、だんごを頂いてもらうです。
 だんごには、家内安全、息災安穏が込められています。



Posted by 住職日記 at 17:50

2018年02月04日   節分を終わって

風邪の症状に苦しんでいる中、野洲、西教寺と走り回っていました。自分の果たすべき仕事はしておかないと、ひとに迷惑をかけるからです。それと、病は気からです。気を強く持ってないと、身体が弱るからです。病魔を身体に寄せつけないようにすることは僧侶のつとめではないでしょうか。僧侶たるものは、人々の手本であり、悪い事はしない。そして、尊敬されなければ、施しを受けるものではないと思っています。施しは、僧侶の身を助けるものであると同時に、施しをした人に法でもって、還元されなくてはならないと思っています。還元というのは難しい言葉ですが、人々がこれ生きて行く為の智慧を授けるものであると思っています。ですから、施しは、給料ではありません。自分の好きなものを手に入れるのではなく、人々の為になることを考えるために預からせて頂くのです。



Posted by 住職日記 at 08:37