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Posted by 滋賀咲くブログ at

2014年08月31日   智者はふるまいをせず

この言葉は、今から1000年も昔の浄土宗の開祖法然上人が出したものです。
人はなぜ学ぶのか。賢くなるためか、偉くなるためか、私は、賢いという人ほど愚かである。そういう人ほど孤立しやすい。同じ穴のむじなという言葉があるが、知らない者同士は、楽しい仲間ができる。ああでもないとか、こうでもないとかいう方が、面白しいし、人生、楽に生きられる。下手に知ったかぶりをすると、寄り添ってくれないから、さびしい思いがする。和気藹々と生きる方が楽しい。
智者は、かくして生きた方が、善い出会いが生まれ、楽しいです


Posted by 住職日記 at 01:09

2014年08月30日   人を先にし、自分を後にする

この言葉は、気に入っている。自分のことにより、まず人のために働くことが生きるよころびを感じるからである。
今、広島で土砂崩れで家をなくし、避難生活をされている。多くの人々はボランテイアで、お手伝いに行っておられる。これは自分のことより、人のことを思っておられるから、次の行動に出られるのである、なんという慈しみ深いことでないだろうか。
いざというときに、人が困っていたら、手を差しのべるというのは、悟りの教えなのです。こういう心でいれば、平和で、争いことことも起こらずに、皆が元気に暮らせることではないかと思います。



Posted by 住職日記 at 05:04

2014年08月29日   身も心も縁によって成り立つ

物が生ずるのは、縁によって生ずる、縁無くしては社会は成り立たない。縁は、出会いから始まる。良縁は、いいものである。自分の知らないことを教えてくれるから、人は大きくしてくれる。前向きにもなれる。前向きになれば、楽しいです。お寺参りは、その知らない人に良縁を与えていただき、楽しさが倍増します。



Posted by 住職日記 at 04:58

2014年08月26日   蒔かぬ種は生えぬ

ある方と出会う。私の実践が、その方に共感していただき、感謝申し上げたい。なかなかそういう方と巡り合えないのが、人生の真実です。これからのお寺は、生きるためのお寺でなければならない。ややもすると葬式のためのお寺と勘違いされている方が多い。お経はなくなった方を弔うのではない。生きるための知恵に接してもらい、心やすらかに暮らしてもらうためにお経が存在するのです。悩めるものがお寺に来て、すっきりしてもらい、明日を元気になってもらうためにあるのです。私の実践は、心安らいでいただき、明日を強く生きてもらうために、本堂を解放したいと考えています。ぜひお越しください。


Posted by 住職日記 at 23:54

2014年08月26日   命は限りあることなり

命はかぎりある。広島の災害で多くの方がお亡くなりになり、大変悲しむべき出来事が起こっています。せっかく、この世に生を受けて、何故に命を落とさなくてはならないのか。むごいことである。命が長く続けられることは大変ありがたいことです。今年も敬老の日が近づいてきました。米寿をお迎えになる方が、数万人おられると聞きます。人生八十八年長生きできることはうれしいことです。しかしながら、病気や事故、そして災害に巻き込まれて、命を落とす方も数万人おられると聞きます。手紙の文句に、御身大切にとか、御自愛してお暮しくださいとか、記されています。なにごとにも気を付けてという願いを込めて書かれています。かぎりある命を大切にして、人をきずかうというのは美しいことです。人を思いやりやさしい言葉を掛け合って生きたいものです。



Posted by 住職日記 at 03:42

2014年08月25日   地蔵盆

8月24日午後1時より、高島市拝戸で地蔵盆をしました。子供が10人、大人10人と多くのお参りがありました。今年で2年めになります。ある方との出会いで、寄せてもらいました。今回の地蔵盆では、広島の土砂崩れで、お子さんの命がなくなられたこともあって、遠く高島の地より、御冥福を祈らせていただきました。お参りした子供たちに、命の大切さと、みんながここに生きていることは、なくられた子供たちのためにも頑張って生きてほしいという願いがあることをお話しさせていただきました。終了後、会議所でお供えされたお菓子をいただきながら、無邪気に遊んでいました。


Posted by 住職日記 at 03:17

2014年08月23日   ようやく涼しくなってきたようです

広島で災害に遭われた方にはお見舞い申し上げます7.。ほんとに悲しいことです、最近の雨は、予想外が起こり、私たち生きとし生ける者には、受難ときかもしれません。どこにいても。災害に見舞われてしまいます。安全なところを探していくのは不可能近いかもしれません。
今から千年前、平安時代、中国から佛教が伝来して以来、その当時も災害は起こっていました。その時代に生きていた人々は、どうして克服したかといますと。仏に帰依し、お経を唱えて災いから免れようとしていたそうです。
これは、今も昔も変わらないように思います。仏を信じ、帰依すれば、心の安らぎを持つことができるような気がします。ただ、家族のために働くだけでなく、心のよりどころを持てば、余裕が生まれ、自然の驚異から身を守ることができるのではないかと最近つくづくと思います。


Posted by 住職日記 at 06:05

2014年08月21日   煩悩の火は己で焼く

生きとし生きる者には、煩悩をもっている。これは疑いのない真実です。欲がなければ、生きていくことができない。その欲を多く満たすか満たさないかである。
少欲知足ということがある。これはお釈迦様が説いた言葉である。欲を少なく足ることを知ることである。あまりに多くを貪り取ると、ろくなことが起こるといういう意味です。まずは、足ることを知ることから始めなければならない。
欲というのは、取ればとるほど、苦しいことが続きます。ここまでというのはない、命を大切にしようと思えば、少欲で生きなければならない。腹八分目でいることである。これは幸せに人生を送ることではな愛化と思います。



Posted by 住職日記 at 05:54

2014年08月20日   真実を見極めよ

台風11号が上陸以来、災害が頻繁に起こり、私たちの暮らしに影響を及ぼしています。
家をこわし、物をこわし、人命までも奪われています。これこそ最悪の状態に陥っています。これは、いい暮らしするが上の自然の破壊なのかなと思えてなりません。山の木がなくなり、海は汚れ、魚がいなくなり、大気は汚染するなど。自然には命をはぐくむエネルギーをもっています。自然には二酸化炭素を体に良い酸素に変える働きを持っています。この娑婆世界を浄化する役割をもっています。今や、悪いもの善いものにしていくサイクルが崩れてきているのではないかと思えてなりません。これからの社会を築いてくれる子孫のために自然のありがたさを考える必要があるのではないかと叫びたい。


Posted by 住職日記 at 06:40

2014年08月19日   托鉢

お盆が終わって、引き続いて、佛教会の托鉢をしています。この托鉢は、超宗派ですので、浄土真宗、曹洞宗、天台宗の住職の団体を結成していまして、60年以上続けています。
 宗派を超えての活動ですので、大変ありがたい托鉢です。3人が一組で、各お家を訪問して、門口もしくは、仏壇に上がらせていただいて、読経するので、浄土真宗の門徒様には、感謝されています。天台の門徒様も、3人の住職がお伺いしますので、大変ありがたいことと喜ばれています。
各家の人たちとの出会いがあり、回る僧侶たちも交流の場として毎年続けています。
私たち天台では、お盆の行事から続いていますので、しんどいこともありますが、意義深い行事と参加しています。


Posted by 住職日記 at 02:59