人と人の出会いには、必ず別れがあります。出会いがあれば、ぶつかってけんかしたり、仲良くしたりしても、いつかはわかれなければなりません。この世は無常であります。また、親を亡くすことも誰もが経験します。
私も母を亡くしています。いつも私を育て、支えてくれた親です。仕方がありません。だからこそいのちを大切にすることを学びます。其れが葬式であると考えています。
不幸が、私の身を助けるものと思います。順風満帆であれば、別れることを考えず、おごり高ぶり、いのちを粗末にしがちです。
お米に感謝、お魚に感謝、ということがあります。人、ものに慈しみ、思いやる心を育てるのは僧侶の生きる道であると考えます。
私も母を亡くしています。いつも私を育て、支えてくれた親です。仕方がありません。だからこそいのちを大切にすることを学びます。其れが葬式であると考えています。
不幸が、私の身を助けるものと思います。順風満帆であれば、別れることを考えず、おごり高ぶり、いのちを粗末にしがちです。
お米に感謝、お魚に感謝、ということがあります。人、ものに慈しみ、思いやる心を育てるのは僧侶の生きる道であると考えます。
Posted by 住職日記 at
17:31
私たち生き物は、自然万物に感謝することから始まります。その昔、先人は、自然と溶けあい慈悲と感謝の念の交錯の内から生ずるのである。
自然の中のすべての生命や草木は言うに及ばず、道ばたの石ころにさえいのちが存在する。その生命の中に我々人間の個々の生命が生きています。人間生活に必要欠くことのできない三原則である衣食住は生命の基本であります。
だけど,人間はむやみやたらに殺生することなく、生活のいとなみをすることであると私の開祖真盛上人は悟られています。
キリスト教では、羊、牛、豚は神様が人間のために食物としてお作りになった生命であり、そのことを能く理解して、神様に感謝をして頂きなさい。と教えています。
死して育むという言葉が残されていますが、自己の生命を充分に生き抜くと同じように他の生命を充分に生かす働きがあります。
生有るものは生有るもののためにまっとうすることを、真盛上人は、「只様もそうらわず南無阿弥陀仏ととなうるがすなわち往生にてそうろう」と自分を生かとす共に、他のものを生かしていくことを説いています。
私たちは、自分の生命を保たんがために、他の生命を犠牲にしていますが、其れは当たり前のように思い、ものへの感謝と慈悲の心を忘れているのです。それに気づいたとき、自分の生命の尊さを感じると共に、申し訳ありませんという懺悔の心と有難うございますという感謝の心が沸いていくクルのです。
その感謝の心が自然に出てくると、自他共に仏の慈悲にすがり、不断念仏が生活が生まれてくるのです。
生きる喜びに至ったときに慈悲の心、感謝の心、安心の生活がやってくるのであります。
自然の中のすべての生命や草木は言うに及ばず、道ばたの石ころにさえいのちが存在する。その生命の中に我々人間の個々の生命が生きています。人間生活に必要欠くことのできない三原則である衣食住は生命の基本であります。
だけど,人間はむやみやたらに殺生することなく、生活のいとなみをすることであると私の開祖真盛上人は悟られています。
キリスト教では、羊、牛、豚は神様が人間のために食物としてお作りになった生命であり、そのことを能く理解して、神様に感謝をして頂きなさい。と教えています。
死して育むという言葉が残されていますが、自己の生命を充分に生き抜くと同じように他の生命を充分に生かす働きがあります。
生有るものは生有るもののためにまっとうすることを、真盛上人は、「只様もそうらわず南無阿弥陀仏ととなうるがすなわち往生にてそうろう」と自分を生かとす共に、他のものを生かしていくことを説いています。
私たちは、自分の生命を保たんがために、他の生命を犠牲にしていますが、其れは当たり前のように思い、ものへの感謝と慈悲の心を忘れているのです。それに気づいたとき、自分の生命の尊さを感じると共に、申し訳ありませんという懺悔の心と有難うございますという感謝の心が沸いていくクルのです。
その感謝の心が自然に出てくると、自他共に仏の慈悲にすがり、不断念仏が生活が生まれてくるのです。
生きる喜びに至ったときに慈悲の心、感謝の心、安心の生活がやってくるのであります。
Posted by 住職日記 at
07:36
真夏の暑さも,いつの間にか過ぎ去り、布団をかぶらなくては寒さを感じるころに移り変わってきました。諸行無常の言葉gの意味がわかるようになってきました。
一つのもが、いつまでもないのです。それは変わり果てていくのです.人の命も、いつまでも続かないのです。いつかはこの世から去らなければならないのです。そう思うといのちの大切にすることは、大事なのです。これがわからないとむなしくいきることになります。皆さん方には、むなしく生きていませんか。
人は忙しいという声を聞きます。忙しくしていないと生きられないように思うからです。ひまで生きていると、他人から非難を浴びることがあります。だから忙しいという挨拶を交わすのでしょう。忙しいという言葉簿の意味は心を亡くすと書きます。心がなくなるから、むなしさが出てくるのでしょう。
この娑婆は、この岸(此岸)悟りの世界を彼岸といいます。人々は西の浄土に向かって生きるのです。其れは人生だと思います。そこに行き着くために、たくさんの経験が必要なのです。それがなければ悟りなんぞ開かれないのです。
人生、豊かに暮らして行くことがこの世の欲望なのです。
一つのもが、いつまでもないのです。それは変わり果てていくのです.人の命も、いつまでも続かないのです。いつかはこの世から去らなければならないのです。そう思うといのちの大切にすることは、大事なのです。これがわからないとむなしくいきることになります。皆さん方には、むなしく生きていませんか。
人は忙しいという声を聞きます。忙しくしていないと生きられないように思うからです。ひまで生きていると、他人から非難を浴びることがあります。だから忙しいという挨拶を交わすのでしょう。忙しいという言葉簿の意味は心を亡くすと書きます。心がなくなるから、むなしさが出てくるのでしょう。
この娑婆は、この岸(此岸)悟りの世界を彼岸といいます。人々は西の浄土に向かって生きるのです。其れは人生だと思います。そこに行き着くために、たくさんの経験が必要なのです。それがなければ悟りなんぞ開かれないのです。
人生、豊かに暮らして行くことがこの世の欲望なのです。
Posted by 住職日記 at
11:22
二河浄土とは、浄土往生を願う衆生が、信を得て浄土に至るまでを譬喩によって念仏を唱え、浄土に導かれるために造られたものです。
ある人が西に向かって独り進んで行くと、無人の原野に忽然として水火の二河に出会う。これは人間界には、煩悩に悩まされていることをすくうためにたとえ話があるのです。浄土を目指すには、苦難の道があるということです。浄土に行くには、右に火ノ川、左の底知れぬ海、どちらに行っても、地獄。その地獄から免れるには、ひたすら、仏を信じて、歩いていく事である。
人間の身体は、苦しみ、傷み、もがき苦しむ心があります。これを逃れることができるのは悟りの心にである
その悟りは、心安らかになることである。
現代社会では、欲張りの人ばかりで、あれもほしい、これもほしい。と一つの欲を満たせば、底なし沼のように、もがき苦しむのである。
人生そんな欲望に生きていくには、悟りの心が必要なのです。
其れを解決するには、ありのままになることである。其れが悟りなのです。
悟りは、火の川、水の河を通らなければ、気づけないのだと考えます。煩悩がないところには、人間は生きていけない。
ある人が西に向かって独り進んで行くと、無人の原野に忽然として水火の二河に出会う。これは人間界には、煩悩に悩まされていることをすくうためにたとえ話があるのです。浄土を目指すには、苦難の道があるということです。浄土に行くには、右に火ノ川、左の底知れぬ海、どちらに行っても、地獄。その地獄から免れるには、ひたすら、仏を信じて、歩いていく事である。
人間の身体は、苦しみ、傷み、もがき苦しむ心があります。これを逃れることができるのは悟りの心にである
その悟りは、心安らかになることである。
現代社会では、欲張りの人ばかりで、あれもほしい、これもほしい。と一つの欲を満たせば、底なし沼のように、もがき苦しむのである。
人生そんな欲望に生きていくには、悟りの心が必要なのです。
其れを解決するには、ありのままになることである。其れが悟りなのです。
悟りは、火の川、水の河を通らなければ、気づけないのだと考えます。煩悩がないところには、人間は生きていけない。
Posted by 住職日記 at
08:23
先週末から秋風が吹き出して、いい季節になってきています。でもコロナは、なかなか,消えてくれません。其れはそうですね。油断すれば、広がり、人々に不安をあおります。
先日、霊感を持った女性にであいました。亡くなった方が、現れてきて、気持ちが悪いといっています。大変悩んで折られて、私のところに相談に来られてのです。
若い頃に、神社で巫女さんをされていたそうです。神様の前で、ご奉仕をされてきた経験を持たれていて、ご主人を事故で亡くされて、不遇の環境であったことを私の話されました。
以前から仏様のお給仕を毎日なされておられて、清らかな生活を送られているのだなあと思いました。
ひとまず話を聞いて、本堂で、般若心経で祈祷をしてあげました。
写経用紙をわたして、書くように進めました。そして、また、彼女の話を聞かせて下さいと伝えて、本堂をあとにされました。
しばらく様子を見させて頂いて、変化を見ることにしました。
先日、霊感を持った女性にであいました。亡くなった方が、現れてきて、気持ちが悪いといっています。大変悩んで折られて、私のところに相談に来られてのです。
若い頃に、神社で巫女さんをされていたそうです。神様の前で、ご奉仕をされてきた経験を持たれていて、ご主人を事故で亡くされて、不遇の環境であったことを私の話されました。
以前から仏様のお給仕を毎日なされておられて、清らかな生活を送られているのだなあと思いました。
ひとまず話を聞いて、本堂で、般若心経で祈祷をしてあげました。
写経用紙をわたして、書くように進めました。そして、また、彼女の話を聞かせて下さいと伝えて、本堂をあとにされました。
しばらく様子を見させて頂いて、変化を見ることにしました。
Posted by 住職日記 at
10:44
安部さんお疲れ様でした。8年あまり国のために総力を挙げて、奉職されました。でも結果、どうであったでしょう。
仏教の教えに六波羅蜜ということばがあります。
六波羅密とは、布施、持戒、忍辱。禅定、智慧、精進という正しい教えを実践していけば,いい国作りできると、かの聖徳太子が、仏教の国作りを成されました。その功績はたたえられて、一万円札に肖像が印刷されました。これから100年後、お札に乗る総理大臣がいるのでしょうか。其れでは一つずつ説明をしてきましょう。
①布施 人にものをあげて、人の喜びを分かち合いなさいということ行動です。お坊さんにお布施を渡しますね。これは、お坊さんがお経をとなえてのお礼です。
②持戒 生活習慣を調えるといことで、私たち生きていくために五つの戒めを守るなさいという意味です。
・生き物を殺さない
。他人のものを盗まない
・よこしまな考えをおこさない。不倫をしない
・うそをつかない・
・酒を飲み過ぎて、他人を傷つけない
③忍辱 周りの意見にカッとして自分を失い、激情に襲われないようにじっと我慢をしなさい。
④精進 怠けることなく努力しなさい
⑤禅定 心を安定させて、ゆとりをもちなさい
⑥智慧 物事の真実を見極めて、なにが正しいのか判断する心を持ちなさい。
これらの6つの行いは、修行であり、人して向上して、人々のために、実践して、いい国を作りを目指しなさいということであります。そうすれば総理大臣は立派な人だと言われると思います。
仏教の教えに六波羅蜜ということばがあります。
六波羅密とは、布施、持戒、忍辱。禅定、智慧、精進という正しい教えを実践していけば,いい国作りできると、かの聖徳太子が、仏教の国作りを成されました。その功績はたたえられて、一万円札に肖像が印刷されました。これから100年後、お札に乗る総理大臣がいるのでしょうか。其れでは一つずつ説明をしてきましょう。
①布施 人にものをあげて、人の喜びを分かち合いなさいということ行動です。お坊さんにお布施を渡しますね。これは、お坊さんがお経をとなえてのお礼です。
②持戒 生活習慣を調えるといことで、私たち生きていくために五つの戒めを守るなさいという意味です。
・生き物を殺さない
。他人のものを盗まない
・よこしまな考えをおこさない。不倫をしない
・うそをつかない・
・酒を飲み過ぎて、他人を傷つけない
③忍辱 周りの意見にカッとして自分を失い、激情に襲われないようにじっと我慢をしなさい。
④精進 怠けることなく努力しなさい
⑤禅定 心を安定させて、ゆとりをもちなさい
⑥智慧 物事の真実を見極めて、なにが正しいのか判断する心を持ちなさい。
これらの6つの行いは、修行であり、人して向上して、人々のために、実践して、いい国を作りを目指しなさいということであります。そうすれば総理大臣は立派な人だと言われると思います。
Posted by 住職日記 at
10:05
この世の中で、一番かわいいものはなんでしょう。其れは紛れもなく「自分自身」です。善かれ悪しかれ,私たちは無意識のうちに自分自身を守っています。別な言葉でいうと、愛しているのです。これは本能でしょう。
ところで。お経の言葉に愛を愛欲、渇愛と表現している。これを悪のひとつにしています。愛は独占欲であります。
たとえばのどがかわいて水を求めるように、自分だけのために、われ先に水を求め、執着する。いわゆる渇愛です。
世の中をさわがしている事件をみていると、自分を守ることに一生懸命で「自分さえよければ」ということが多いです。仏教で戒める愛が犯罪を作り出しているのです。
他人はどうでも良いという感情をおこすのは、仏の自分と我欲に生きる自分のバランスが崩れているからです。
愛には、惜しむということがありません。
仏教には慈悲という言葉があります。慈悲は苦しむ悩むすべての人々を救いとらんとする仏様の心そのものです。
すなわち、生きそい生けるものに対するいつくしみやあわれみの感情です。慈悲には惜しみがあります。愛は盲目は、周りが見えていないのです。どうぞ慈しむ心を持って他人に優しい声をかけてみて下さい。
ところで。お経の言葉に愛を愛欲、渇愛と表現している。これを悪のひとつにしています。愛は独占欲であります。
たとえばのどがかわいて水を求めるように、自分だけのために、われ先に水を求め、執着する。いわゆる渇愛です。
世の中をさわがしている事件をみていると、自分を守ることに一生懸命で「自分さえよければ」ということが多いです。仏教で戒める愛が犯罪を作り出しているのです。
他人はどうでも良いという感情をおこすのは、仏の自分と我欲に生きる自分のバランスが崩れているからです。
愛には、惜しむということがありません。
仏教には慈悲という言葉があります。慈悲は苦しむ悩むすべての人々を救いとらんとする仏様の心そのものです。
すなわち、生きそい生けるものに対するいつくしみやあわれみの感情です。慈悲には惜しみがあります。愛は盲目は、周りが見えていないのです。どうぞ慈しむ心を持って他人に優しい声をかけてみて下さい。
Posted by 住職日記 at
08:56
9月に入っても、暑い日が続きます。しかも40度という暑さが続き、身体はくたくた。なにもする気が起きない。だけど我慢しなければ、自然に悪影響を及ぼします。赤道直下の海水の温度が上昇して、台風をおこしやすい環境をつくって、大災害を起こしています。これは地球温暖化が原因とされています。人間が際限なく欲望を満たし、争いごとの絶えない社会にしてしまったのではないでしょうか。ものがいっぱい、夏は涼しく、冬は暖かく不自由のな暮らしが,温暖化へとしています。
この辺で、自然と人間が共存できるようにしないと、地球がなくなってしまうのではないかと不安を抱きます。暑いときは暑い、寒いときは寒いそして春と秋はちょうど良い季節と感じられるようにしなくては、人類が滅んでしまう恐れを感じます。
豊か過ぎて怖いです。
今、子どもの減少で、経済が成り立たなくなっています。ものを造っても売れない現象です。人口が減少すれば、ものが売れなくなり、雇用も失われていきます。お釈迦様の教えの小欲知足です。
欲はすくなく、足ることを知る生き方に変えないと、野生動物に支配されそうです。現に、猿が、人間を怖がらなくなって、先祖伝来のお寺、神社そして人々が住む家が壊されようとされています。
この辺で、自然と人間が共存できるようにしないと、地球がなくなってしまうのではないかと不安を抱きます。暑いときは暑い、寒いときは寒いそして春と秋はちょうど良い季節と感じられるようにしなくては、人類が滅んでしまう恐れを感じます。
豊か過ぎて怖いです。
今、子どもの減少で、経済が成り立たなくなっています。ものを造っても売れない現象です。人口が減少すれば、ものが売れなくなり、雇用も失われていきます。お釈迦様の教えの小欲知足です。
欲はすくなく、足ることを知る生き方に変えないと、野生動物に支配されそうです。現に、猿が、人間を怖がらなくなって、先祖伝来のお寺、神社そして人々が住む家が壊されようとされています。
Posted by 住職日記 at
10:42
あの道ばたに咲いている「赤い実を取って、食べたいなあと思ったとき、古老から聞かされました。あの赤い実は毒があるからだめよといわれました。おいしそうに見える食べ物には毒があります。
其れは食べ過ぎに注意ということなのです。
赤い実は野いちごといって、食べられるものでした。人間は、おいしければ、根こそぎ食べ尽くす習慣があります。小さないのちもあっというまになくなるのです。悲しいです。
人の命も同じことがいえると思います。長生きしてほしい人には、短命になって、早く別れねばなりません。これも悲しい者です。子孫繁栄の原則というもので、おいしいからとすべてを食べ尽くすことしてしまえば、赤い実は、来年はならないでしょう。少しはのこしてやらないとタネができないまま、来年には実がなる保証がありません。
今や日本は少子高齢化のなみが押し寄せています。このまま、子どもがいなくなると、日本人は
いなくなるでしょう。
先日、本堂で猿と出くわしました。ところが、私を見ても逃げません。猿から目を離すと飛びかかってくる形相でした。もうすぐ、自然豊かな高島は、野生の動物に支配されるのではないかと想像します。それだけ、人間がすくなくなってきている現実に向き合わないと、大変なことになります。ましてコロナウイルスには治療の手立てがありません、かかれば死を待つしかないと考えます。これ以上、人間が減少すれば、お寺もまもっていくことができません。
今、,私にできることは、お寺の参詣者を増やし、後世に受けつないで行くことです。朱印と石仏で人々に魅了を感じてもらい、多くの人に来てもらうことだと思います。すると、猿もこのお寺に近づいてこないでしょう。
其れは食べ過ぎに注意ということなのです。
赤い実は野いちごといって、食べられるものでした。人間は、おいしければ、根こそぎ食べ尽くす習慣があります。小さないのちもあっというまになくなるのです。悲しいです。
人の命も同じことがいえると思います。長生きしてほしい人には、短命になって、早く別れねばなりません。これも悲しい者です。子孫繁栄の原則というもので、おいしいからとすべてを食べ尽くすことしてしまえば、赤い実は、来年はならないでしょう。少しはのこしてやらないとタネができないまま、来年には実がなる保証がありません。
今や日本は少子高齢化のなみが押し寄せています。このまま、子どもがいなくなると、日本人は
いなくなるでしょう。
先日、本堂で猿と出くわしました。ところが、私を見ても逃げません。猿から目を離すと飛びかかってくる形相でした。もうすぐ、自然豊かな高島は、野生の動物に支配されるのではないかと想像します。それだけ、人間がすくなくなってきている現実に向き合わないと、大変なことになります。ましてコロナウイルスには治療の手立てがありません、かかれば死を待つしかないと考えます。これ以上、人間が減少すれば、お寺もまもっていくことができません。
今、,私にできることは、お寺の参詣者を増やし、後世に受けつないで行くことです。朱印と石仏で人々に魅了を感じてもらい、多くの人に来てもらうことだと思います。すると、猿もこのお寺に近づいてこないでしょう。
Posted by 住職日記 at
07:21
今朝、支援者から電話があって、もうすぐ最大規模の台風が来るので、見に来て頂き、痛んでいるところの養生に来て頂きました、家も生きも者です。痛んでいるところから、屋根が吹っ飛びます。本当にありがたいです。私の代で、玉泉寺の庫裏の大修理をせねばと思い、浄財を集めているのですが、コロナ渦では、思うように生きません。早くコロナを退散させて、取り組まねばと思っているのですが、前へ進むことができません。そんなとき、台風が来るので、見に来てくれてありがたいことです。
人々の苦しみには原因があり、人々の悟りに道があるように、すべてのものは皆、縁によって生まれ、縁によって滅びる。雨は降るのも,風が吹くのも,花が咲くのも、葉が散るのもすべての縁によって生じ、縁によって滅びるのである。この身は父母の縁に生まれ,食物によって維持され、また心も経験や知識によって育ったものである。だからこの身も,この心も縁によって成り立ち、縁によってかわると言わなければならない
だからこそ、人の縁は大切にしなければ、少子高齢化の中、玉泉寺は滅んで行くと考えて居ます
人々の苦しみには原因があり、人々の悟りに道があるように、すべてのものは皆、縁によって生まれ、縁によって滅びる。雨は降るのも,風が吹くのも,花が咲くのも、葉が散るのもすべての縁によって生じ、縁によって滅びるのである。この身は父母の縁に生まれ,食物によって維持され、また心も経験や知識によって育ったものである。だからこの身も,この心も縁によって成り立ち、縁によってかわると言わなければならない
だからこそ、人の縁は大切にしなければ、少子高齢化の中、玉泉寺は滅んで行くと考えて居ます
Posted by 住職日記 at
07:59