悩みは、欲望から生まれて来る。欲があるから、いつも悩むのである。でも、欲は、生きるためには必要なことで、腹が空いたら、ご飯を食べる。眠たくなったら寝る、お金が欲しいから働く。などなど、欲はつきない。だからこそ、生きるのである。そういう中で、欲が満たされないから、悩み苦しむ。これが人生です。悩んだら、お寺の住職様に聞いてもらうのである。そして打ち明けることで、心がすーとして、また生き直せるのです、ところが、お寺も留守がちであったり、世の中、便利になって、いろんな場所で、悩み相談所が出来て、お寺に行かなくなったのである。それと悩みが複雑になって、専門性の知識を持った人の所に行くようになったからだと思います。
悩みはつきるものではありません。悩みを解決したときの喜びはひとしおです。
悩みはつきるものではありません。悩みを解決したときの喜びはひとしおです。
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04:10
私たちは、仕事をすることによって、生かされている。その仕事は、自分の為であるが、大きいところで観れば、世の中の為である。たとえば、昔は、A地点からB地点に移動することが叶わなかったが、今では車で早く移動できるし、バスや電車も作られたおかげで、大いに役立っている。だから、仕事は世の中に貢献するから、仕事をします。
でも、仕事は、自分の力だけでは出来ないのです。その人の能力だけではないのです。実は目に見えないものがあるのです、それが祖先であったり、神や仏様のおかげなのです。受験勉強で、お守りを授けてもらう為に、神社やお寺にお参り行きませんか。お守りは、その人の希望を叶えてくれる祈願物です。
自分だけでなく、多くの縁が結ばれるから、成就することが出来るのです。
そして、たゆまぬ努力の結果が実を結ぶのです。
でも、仕事は、自分の力だけでは出来ないのです。その人の能力だけではないのです。実は目に見えないものがあるのです、それが祖先であったり、神や仏様のおかげなのです。受験勉強で、お守りを授けてもらう為に、神社やお寺にお参り行きませんか。お守りは、その人の希望を叶えてくれる祈願物です。
自分だけでなく、多くの縁が結ばれるから、成就することが出来るのです。
そして、たゆまぬ努力の結果が実を結ぶのです。
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07:52
しばらく、私の犯したおろかな事で、悩み、苦しみもがいていました。ほんと、とりかえしのつかないことをしまったのです。私自身深く反省の日々を過ごしていました。人間というのは悩み続けてそして、年を取り、そして死んでいくので有る。現代は、悩み続け、ストレスに変わり、、このよを全うできずに、自殺するものが増えています。悲しいことである。せっかくいただいた命、先祖様に申し訳ない思えば、自殺することが許されないのである。お釈迦様は、そのような苦しみを解脱して、佛教を起こしたのである。
今、悩みを持っている人、お寺に参り、お経を聞いて見ようではありませんか。新たな発見があると思います。
今、悩みを持っている人、お寺に参り、お経を聞いて見ようではありませんか。新たな発見があると思います。
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06:58
定命とは、定められたいのちです、人はみな定められたいのちをいただいているのです。生きたくていただいているのではありません。このよに生まれて、寿命は決まっているのです。それには、だれも知る事はできません。出来るとしたら、神よりほかはありません。
其のいのち、粗末にしてはなりません。生きている以上、大切にすることです。限りあるいのちのなかで、どう生きるかであります。生きている証を後世に伝えることだと思います。後世に伝えるには、自分の姿をさらけ出すことです。うそをつけば、その人の功績はありません。正しく居ていれば、その人は、後世に受け継がれるでしょう。今生きている人は、努力して、正しい道を教えなければなりません。然うしないと、未来がないかもしれません。私たちは、未来のために正しい行い、正しい考えを広めなければいけないと思います。決してあきらめることなく、生きようではありませんか。
其のいのち、粗末にしてはなりません。生きている以上、大切にすることです。限りあるいのちのなかで、どう生きるかであります。生きている証を後世に伝えることだと思います。後世に伝えるには、自分の姿をさらけ出すことです。うそをつけば、その人の功績はありません。正しく居ていれば、その人は、後世に受け継がれるでしょう。今生きている人は、努力して、正しい道を教えなければなりません。然うしないと、未来がないかもしれません。私たちは、未来のために正しい行い、正しい考えを広めなければいけないと思います。決してあきらめることなく、生きようではありませんか。
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10:24
私も、会社員で、生活をしているとき、よく愚痴をいいました。なぜなら、自分の思い通りならない事があると、同僚に愚痴を言って、ストレス発散したものです。
其の愚痴というのは、佛教の教えから来ています。愚も痴も心理に暗く、おろかと言うことなのです。つまりおろかものと言うことです。人は向上していく生き物です。それなのに後ろ向きになることはマイナスです。ならなかったことを反省して、明日には、希望を持って生きて行くことなのです。人に愚痴を聞いてもらうこと自体、失礼な話です。愚痴を話したからといって、その人は、時間の無駄なのです。人は前向きになることに魅力を持つのです。魅力的な人は、人を寄せ付けます。そして大きくなっていくのです。
さあ、愚痴を言わずに、前向きな実践をしましょう。
其の愚痴というのは、佛教の教えから来ています。愚も痴も心理に暗く、おろかと言うことなのです。つまりおろかものと言うことです。人は向上していく生き物です。それなのに後ろ向きになることはマイナスです。ならなかったことを反省して、明日には、希望を持って生きて行くことなのです。人に愚痴を聞いてもらうこと自体、失礼な話です。愚痴を話したからといって、その人は、時間の無駄なのです。人は前向きになることに魅力を持つのです。魅力的な人は、人を寄せ付けます。そして大きくなっていくのです。
さあ、愚痴を言わずに、前向きな実践をしましょう。
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13:53
坂村真民氏の言葉で有ります。2006年に亡くなっています。今は過去の人です。でも、言葉は、その人を思い出してくれます。生きていると言うことは、たくさんの事を経験し、失敗し、そして成功して行く。それは、ドラマであり、登場人物になり得ます。だから、あわてて死んで行かないでください。自分を後世の人に語り継がれて行って欲しい。
それが人生だと思います。
標記の言葉の意味は、喜びを分け合うほど大きくなり、悲しみは分け合うほど和らぎます。悲しみは一層深めないよう、あたためあい分け合って行けたらいいなあという感じです。
それが人生だと思います。
標記の言葉の意味は、喜びを分け合うほど大きくなり、悲しみは分け合うほど和らぎます。悲しみは一層深めないよう、あたためあい分け合って行けたらいいなあという感じです。
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07:15
佛教では、不思議なことばかりとお経に述べられています。ほんと不思議です。先日、近江八幡のお寺で、本堂落慶法要が営まれました。その日は、前日から雨降りでしたので、雨とあきらめかけていました住職と檀家の皆様は、青空のもと、いいお天気に恵まれて、不思議なことが起こりました。仏様というのは、ほんとにおられるのだなと思いました。仏様は、神通力をもっておられて、祈りが通じれば、必ず成就してくれるのです。
だからこそ、阿弥陀様への祈りが大事なのです。
祈りは心の迷いを払い、私たちに安らぎを与えてくれるのです。そうして、信仰の大切さを教えてくれるのです。
今日も七福神のお参りがありました。仏様の不思議さを聞いていただきました。
だからこそ、阿弥陀様への祈りが大事なのです。
祈りは心の迷いを払い、私たちに安らぎを与えてくれるのです。そうして、信仰の大切さを教えてくれるのです。
今日も七福神のお参りがありました。仏様の不思議さを聞いていただきました。
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19:25
リーダーは、德は積む事が必須条件です。德なくして皆の心を集めることができないのです。自分勝手な生き方をする人は、人の上に立つことが出来ない。無私な人こそが、德が高く、そういう人に天の助けがあるのです。私利私欲の心では、絶対にリーダーになれないのです。そうはいっても、わがままな心を捨てよう思っても、なかなか〈捨てることが出来ないものです。
他人為になるとか、小さい善行を積み重ねるとかの行いをすることです。善行が増えれば、それだけ悪行は減ります。
ことあるごとに、神仏の恵みに感謝し、いのちの元に遡って祖先を大切にした昔の人々德の蓄えによって、今の自分が存在していることに感謝することです。そうするとわがままな心がなくなるのだと思います。
他人為になるとか、小さい善行を積み重ねるとかの行いをすることです。善行が増えれば、それだけ悪行は減ります。
ことあるごとに、神仏の恵みに感謝し、いのちの元に遡って祖先を大切にした昔の人々德の蓄えによって、今の自分が存在していることに感謝することです。そうするとわがままな心がなくなるのだと思います。

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08:57
自分の人生、いつ終わるかわかりません。それだけに、今できることを、しなければ後悔の一念です。後悔することなく、一生懸命出来ることをやりましょう。それが人生です。そうして、このよに生まれ育ったご恩を返しましょう。このよに生まれるのも恩です、そして、両親の元で育てられることも恩、すべて、恩と感謝です。恩に生き、日々の感謝です。その中で、人は成長して、そして社会に貢献して、そして死んで行くのです。自分が生きた証を残すことが悔いのない人生です。
Posted by 住職日記 at
07:20