人間は、喜び、悲しみ、怒り、つらさを感じることができる。動物、植物にない五感機能である。においを嗅ぐ、味を感じる。目で見て感じる、
つまり、眼耳舌身意の五感である。これは、般若心経にかかれています。
これは生きとし生けるものの特権である。
こんな素晴らし機能は,人間だけである。ああ人間に生まれ手善かったなとつくづく感じます。
ところが、人間にとっていやなことは、相手を憎む、いらだつ、うらやむ、うとましい、などの悪い心が働くことである。この悪い心を捨て去ることである。それが、仏教なのである。
いちどお話を聞きに来てください。
つまり、眼耳舌身意の五感である。これは、般若心経にかかれています。
これは生きとし生けるものの特権である。
こんな素晴らし機能は,人間だけである。ああ人間に生まれ手善かったなとつくづく感じます。
ところが、人間にとっていやなことは、相手を憎む、いらだつ、うらやむ、うとましい、などの悪い心が働くことである。この悪い心を捨て去ることである。それが、仏教なのである。
いちどお話を聞きに来てください。
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14:36
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9月に二十日がすぎ、もう10月の顔をだしてきました、
月日が、早く過ぎるものと、感じています。
参詣者のトイレも、もうすぐ完成です。ほんと崇敬者のかたに感謝申し上げます。
有りがたいことです。
月日が、早く過ぎるものと、感じています。
参詣者のトイレも、もうすぐ完成です。ほんと崇敬者のかたに感謝申し上げます。
有りがたいことです。
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14:24
9月に二十日がすぎ、もう10月の顔をだしてきました、
月日が、早く過ぎるものと、感じています。
参詣者のトイレも、もうすぐ完成です。ほんと崇敬者のかたに感謝申し上げます。
有りがたいことです。
月日が、早く過ぎるものと、感じています。
参詣者のトイレも、もうすぐ完成です。ほんと崇敬者のかたに感謝申し上げます。
有りがたいことです。
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14:23
このトイレは、崇敬者の方、当山にお参りにいただいた方々のご浄財で、建立することができました。
住職として、感無量です。
皆様方には、お力をいただいたこと感謝申し上げます。
玉泉寺住職 木村哲基
住職として、感無量です。
皆様方には、お力をいただいたこと感謝申し上げます。
玉泉寺住職 木村哲基
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18:20
9月に二十日がすぎ、もう10月の顔をだしてきました、
月日が、早く過ぎるものと、感じています。
参詣者のトイレも、もうすぐ完成です。ほんと崇敬者のかたに感謝申し上げます。
有りがたいことです。
月日が、早く過ぎるものと、感じています。
参詣者のトイレも、もうすぐ完成です。ほんと崇敬者のかたに感謝申し上げます。
有りがたいことです。
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18:14
人間の一生は、今を生きることである。
苦しみに嘆き、愚痴を言い、縁ある人に迷惑をかけている。だけど、これが生きる道ではないでしょうか、
動物、植物は、ぜったいに愚痴など言わない。日照りが続いて、水がなくても、えさがなくても、嘆かない。
人間だけである。不平不満を持つこと、そして思い通りにならないと、暴力で嘆く。ああ哀しい事である。
無心こそ悟りではあると思う。
悟りは、ありのまま、ないのままである。ただ、生あるものは、今を生きる。そして、寿命がくれば、散っていくのです。
だから、嘆かない、怒らない、泣かない、愚痴を言わない。これこそが今を生きるのである。
苦しみに嘆き、愚痴を言い、縁ある人に迷惑をかけている。だけど、これが生きる道ではないでしょうか、
動物、植物は、ぜったいに愚痴など言わない。日照りが続いて、水がなくても、えさがなくても、嘆かない。
人間だけである。不平不満を持つこと、そして思い通りにならないと、暴力で嘆く。ああ哀しい事である。
無心こそ悟りではあると思う。
悟りは、ありのまま、ないのままである。ただ、生あるものは、今を生きる。そして、寿命がくれば、散っていくのです。
だから、嘆かない、怒らない、泣かない、愚痴を言わない。これこそが今を生きるのである。
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15:02
台風14号には、苦しみました。一番大きく、破壊力の強いには悩まされました。
特に、当山では、鐘撞き堂、トイレ、本堂と被害が受けやすく、相当苦しみました。
そして今時の台風には、予想を超えていますので、余計に心配の種です。
特に、当山では、鐘撞き堂、トイレ、本堂と被害が受けやすく、相当苦しみました。
そして今時の台風には、予想を超えていますので、余計に心配の種です。
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13:21
有るとき、今から三年前、名古屋からひとりの高齢者が、家を求めて安曇川に来られて、ふと玉泉寺に来られました、その時に、玉泉寺の近くに空き家があって、どんなところか見に来られ、たまたま、私と出会ったのです。
1時間ほど、立ち話しをしながら、いいところと宣伝しました。
そうして、転居して、三年、朝の散歩で、ぎょくせんじにお参りにこられ、掃除をしている最中、私と再会しました。私は、びっくりです。
けさも、出会いました
本堂を開けて、お経を唱えてさせていただきました。その人は感動なされて、喜ばれました
1時間ほど、立ち話しをしながら、いいところと宣伝しました。
そうして、転居して、三年、朝の散歩で、ぎょくせんじにお参りにこられ、掃除をしている最中、私と再会しました。私は、びっくりです。
けさも、出会いました
本堂を開けて、お経を唱えてさせていただきました。その人は感動なされて、喜ばれました
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00:01
私たち生きる世界は,得意と不得意があり、得意となるところは、鼻高々で、有頂天に登りやすい。不得意なところは逃げて、克服しよう不得意なところに力を入れて、成就感が得られる。
いったん天上界に上り詰めれば、降りたくないのが、人間の欲望である。その欲望を自分のためにするために、嘘をついたり、相手をおとしめたりする。これを地獄という。相手の足を引っ張ることは、人間の生き方としては、決してやってはいけない。
お釈迦様は慈悲深いお方ですので、他人をおとしめることは争い事が起こると言う。
有頂天の行為は決してやってはいけないことなのです
いったん天上界に上り詰めれば、降りたくないのが、人間の欲望である。その欲望を自分のためにするために、嘘をついたり、相手をおとしめたりする。これを地獄という。相手の足を引っ張ることは、人間の生き方としては、決してやってはいけない。
お釈迦様は慈悲深いお方ですので、他人をおとしめることは争い事が起こると言う。
有頂天の行為は決してやってはいけないことなのです
Posted by 住職日記 at
23:57