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Posted by 滋賀咲くブログ at

2015年06月25日   梅雨の中休み

最近、突然の大雨に出会うと、大変です。でも、生きとし生けるものにとって、必要なものです。お経のなかの最高の法華経の中に薬草喩品があって、雨が降って、潤いをもたらすことはとっても大事なことと説いています。雨は、人生にとって必要です。潤いは、心を癒やし、力をつけてくれます。雨降って地固めますといいます。でも雨は酸性をもたらし、作物を台無しにするとよく言われるほど、影響が大きい。でも私たちの暮らしに便利をもたらしてきているのだから、批判できない。
雨は、緑を輝かし、景色を美しく見せてくれる。だから、雨は好きである。別に雨の中を歩くことがないし、雨が降って不便なことがないので、良しとする。人の成長を見ることができるのはやはり雨ふりかな。


Posted by 住職日記 at 09:01

2015年06月21日   人生を極めるとは

私たち、生きているものは、道を極めて行く喜びをもっています。その職として、大工、建具、左官、扇骨、染職、織物、硯、筆などの日本古来の職人のおかけで、人しての幸せを得てきました。文明が発展してきますと、橋建設、ビル建設、ダム建設、鉄道、飛行機、車など、高度な資格を有する職人のおかけで、暮らしに喜びを感じられるようになってきました。いまや発明で極める人々が輩出されてきました。
これからも、生活のための極める人すなわち職人が育成されてわたしたち人生の豊かさを得ることができるようになりました。
 僧侶も人々の暮らしに潤いをくれます。私がお坊さんとして、苦しまれている人々に一筋の光を授けて、人生楽しんでもらえるように極めて行きたいと存します。


Posted by 住職日記 at 06:52

2015年06月16日   精進について

一生懸命人生を修行することデス。力士が、相撲の頂点を目指して、毎日稽古に励んでいます。これを、修行するという。修行とは、いろいろな取り組みを経験して、とっさの判断を下して、負けないように取り手を学習すること。ですから。まずは経験しななければ、頂点に立つことができないのである。経験は、失敗して学ぶ。名医といわれる人は、多くの症例を経験をするから、失敗しないのである。これを職人技という。お釈迦様は、教えを説く前に多くの経験をして、膨大な経典を弟子たちに語ったのである。だから精進という言葉を作り出したのではないかと推測します。人生は長い道のりを歩まなければなりません。だからこそ、経験を重ねることを怠ってはならいないと思います


Posted by 住職日記 at 08:45

2015年06月13日   無常

北の交通事故、南の災害と悲しみの日々がなんとも嘆かわしいことが続きます。私たち、どんなに楽しそうに見える人でも何かしら、苦しみ、憂鬱というものを抱えている。どんな人でも、
病気、老衰や死から免れることができない。誰でもが、苦しみながら一歩一歩墓場に向かって歩いている。これが人間の姿である。人生というのは、間違いなく、そうある以上、必ずそうでなければならない原因というものが当然ある。私たちが確かにある。なんとなく確信している。この人生そうであらねばならない数多くのいろいろな原因が重なり合って変化している。
私の目の前に今、茶碗が一つあります。この茶碗は変化してあります。この茶碗は一寸した弾みで落ちたとします。それはもう茶碗でなく、セトモノのかけらになってしまいます。また茶碗の形をしていますが、茶碗になる前は山の土だったのです。山の土が焼き物工場に運ばれて、職人の手でこねられて、茶碗になったのです。また。茶碗にならずにお皿になっているかも知れません。茶碗は現在、過去、未来にわたって、永久に茶碗であるとはいえない。
生あるものは変化する。ただ変化するのではなく、縁起、因縁でもって変化するするものです。無常は永遠に変化するものです。
今をせいっぱい生きることが大切なことである。


Posted by 住職日記 at 05:49

2015年06月11日   がんばることは

「がんばること」というと、どこまでも耐えて忍んで努力することである。プレッシャをかけて、到達できなければ、だめ人間のレッテルを自分で張ってしまうことになるのが現代社会です。だだから頑張るという言葉は使わない方が良いとされている。
仏教では、我を張ることを戒めている言葉です。我というものは、助故中心で、相手のことを考えないのでは、幸福なる社会が生まれないのである、幸せは、相手のことを思いやることであり、愛情が生まれてくる。
お釈迦様は、我として認められるものはないと説かれています。いわゆる無我の境地なのです。自分のエゴを押し通すことがないように教えられています。
頑張るは一見前向きな意気込みのなかにも独りよがりにならないように自分をみつめなおすことが大切にして生きていく言葉なのです。


Posted by 住職日記 at 09:05

2015年06月08日   草木悉皆成仏

法華経には、この世にあるもの、草、木そして生きとし生けるものすべて、成仏するとちゃんと説かれています。
新緑の美しい毎日ですが、木岐には、緑が深く、地には雑草が覆われている。人間の暮らしには、迷惑なことです。雑草を刈らねば、家、庭が覆われてしまう。だけども、雑草にも成仏させねば、私たちの暮らしに影響を及ぼしてしまう。人には念ずる心が備わっている。念ずる心で、助けてくれます。そして懺悔の心を持って生きていれば、必ず、仏が助けてくれると思います。


Posted by 住職日記 at 08:40

2015年06月05日   仏様の寿命

法華経の従地湧出品の中に説かれている。
法華経を説くお手伝いをさせてほしいとたくさんの菩薩が釈尊に申し出たところが、釈尊は、「いや、必要ないこの法華経をこれからの後も、説法してくれる人はガンジス川の砂の数の何倍もいる。だからあなた方の力を借りる必要がない」といったそうです。そのとたん、大地が裂け、そこから無数の菩薩が現れるとという不思議な現象が起こったのです。
その場にいた一同が誠に不思議なことだと釈尊に尋ねると「これからのずっと昔から説法を聞いて修行してきたものたちだ」といわれても人々には合点がいきません。「それはまるで25歳のものが100歳の人を指してこれは私の子供のようなもの、或いは100歳の人が25歳のの人を指して、これは私の父親だというようなものです」といっても人々は合点はいきません。そもそも釈尊は、修行をして四十年間法を説いてこられた。そのようなあなたの元にこんなに無数の菩薩がいるはずじゃないですかと疑問をぶつけた。ということは、仏様の寿命は永遠に続くことになるのである。仏を信ずれば、命の寿命は伸びるものである。


Posted by 住職日記 at 09:38

2015年06月04日   座禅

座禅は、自分を見つめるいいチャンスです。いつも自分中心で世の中が回っていると誤った見方をして、悩んでいるのです。本当は、周りの人々が見守ってもらえるから、希望したことが成就できるのです。勉強ができて、自分一人で成功してきたように思うのですが、まちがいなのです。
最澄の言葉に己を忘れて他を利するが慈悲の極みというとおり、自分のことは後回して、他人のために尽くしてください。そうすれば、希望が叶えられるのです。
働くとは、はたを楽にすることで、仕事ができるのです。みんながそう思っていただけると、幸せを感じるのではないでしょうか


Posted by 住職日記 at 12:25

2015年06月02日   法の道

人は皆、幸福と不幸の垣間の分かれ道であります。幸福な生き方を希望するものです。正しい道で生きていきたいと思うものです。当山に参りいただければ、御釈迦さまの教えを伝えたいる。


Posted by 住職日記 at 13:07