私たち人間は、長生きが一番の幸せと考えてきたのですが、其れを実現すると、今度は、老いてくると、最後のあり方を考えるようになりました。
子どもが巣立ち、夫婦二人の生活に戻り、ゆとりを得ると旅行にいったり、趣味に生きがいを見いだしたりするようになってきたのですが、一人残ることになれば、家というものが重荷になってくる。いわば終活を考えるようになってきました。できるだけ身軽になることにこだわりを求めるようになります。
実に寂しいことです。其れは後継者問題に発展しているようです。
今、私の悩みは、仏壇です。その方は、今までの「家を捨てて、兄弟のいるそばに住みたいと言う希望から、仏壇がいらなくなったので、だれかもらっていただく人がいないかということでした。
ただ、仏様と先祖様の位牌だけを部屋に祀っておきたいと言うことですので、仏壇をゆずりたいと言うことです。
仏様の信心だけはして行くとのことです。身軽になることが心安らかに暮らせる終活を求めておられます。
よかったら仏壇の再利用です。
仏壇を希望される方がおられましたら、連絡してください。
連絡先 木村 090-3708-7206
子どもが巣立ち、夫婦二人の生活に戻り、ゆとりを得ると旅行にいったり、趣味に生きがいを見いだしたりするようになってきたのですが、一人残ることになれば、家というものが重荷になってくる。いわば終活を考えるようになってきました。できるだけ身軽になることにこだわりを求めるようになります。
実に寂しいことです。其れは後継者問題に発展しているようです。
今、私の悩みは、仏壇です。その方は、今までの「家を捨てて、兄弟のいるそばに住みたいと言う希望から、仏壇がいらなくなったので、だれかもらっていただく人がいないかということでした。
ただ、仏様と先祖様の位牌だけを部屋に祀っておきたいと言うことですので、仏壇をゆずりたいと言うことです。
仏様の信心だけはして行くとのことです。身軽になることが心安らかに暮らせる終活を求めておられます。
よかったら仏壇の再利用です。
仏壇を希望される方がおられましたら、連絡してください。
連絡先 木村 090-3708-7206
Posted by 住職日記 at
10:18
阿弥陀様は、永遠に救い主になって、貧しさと苦しさにあえぐすべての人を救います。
私の名はいつでもどこでも誰でも聞こえるようにします。
また分け隔てなく、みんなに教えをわかるようにします。
まごころ込めて信じ切り、私の浄土に生まれようと願い、念仏する人を救うことができないなら、私は仏になりません。
いのちあるすべてのものを救いあげるほとけさまになるため、法蔵菩薩は、激しい修行を続けるために、誓願をたてたのであります、
幸せになろうとしたら、誓願をたてて、努力質しつづなければならないのです。だから念仏なるものを唱え続ける必要があります。
其れと必要なことは、戒律です。
三聚浄戒と言って。三つの戒を守ることです。
①攝律儀戒・・・五戒、八戒、十戒、具足戒という戒律を守って生きることです。 悪いことをしてはいけないことです
②攝善法戒・・・善の行いをする
③攝衆生戒・・・いきとし生けるものを愛護して、他に利益を与えることです
これらを行えば、浄土に生まれ変わらせていただけるのです、
其れが幸せということです
私の名はいつでもどこでも誰でも聞こえるようにします。
また分け隔てなく、みんなに教えをわかるようにします。
まごころ込めて信じ切り、私の浄土に生まれようと願い、念仏する人を救うことができないなら、私は仏になりません。
いのちあるすべてのものを救いあげるほとけさまになるため、法蔵菩薩は、激しい修行を続けるために、誓願をたてたのであります、
幸せになろうとしたら、誓願をたてて、努力質しつづなければならないのです。だから念仏なるものを唱え続ける必要があります。
其れと必要なことは、戒律です。
三聚浄戒と言って。三つの戒を守ることです。
①攝律儀戒・・・五戒、八戒、十戒、具足戒という戒律を守って生きることです。 悪いことをしてはいけないことです
②攝善法戒・・・善の行いをする
③攝衆生戒・・・いきとし生けるものを愛護して、他に利益を与えることです
これらを行えば、浄土に生まれ変わらせていただけるのです、
其れが幸せということです
Posted by 住職日記 at
13:14
比叡山伝教大師が、山家学生式の冒頭に綴られています。
「国宝とは何物ぞ、宝とは道心なり。道心有るの人を名づけて国宝と為す」
道心(どうしん)とは道を修めようとする心、仏教においては仏道を究めようとする心です。この道心をもって生活することができる人が国の宝であると示されています。
例えば、自分の仕事を自己に与えられた天命と心得て、打ち込む人こそ道心の持ち主でしょう。どんな仕事でも、このような人は限りない喜びを仕事の中に見いだし、生き甲斐を仕事の中に感じることができるに違いありません。「自分という人間はいかにあるべきか」を追究し、自己の理想や目標を定め、その実現に向かって努力すること、そのような人生の道を歩む心でいる事です。
このような人が国中に充満すれば、国は栄え、社会は浄化され、物も心も豊かになる世界が実現します。したがって、伝教大師の御心は、一個人の完成のみならず、道心ある人々を育成し、国全体、ひいては世界中に及ぶことを願っているのです。
ところが現在の有り様はどうでしょう。自分のことばかりではございませんか。自分さえよかったらと言う社会の流れです。是れでは対立をうむだけです。
本来仕事というのは、人の役にたつためにするものです。そして仕事の代償として給料をいただくものです。その給料に多い少ないに頓着するから、悩み苦しみが生じて来る。人に迷惑をかける犯罪が後を絶たない。
少ない欲で足ることを知る。是れこそが世の中が栄えるのではないかと思うのですが、間違いでしょうか。人の為に尽くす是れが仕事であり、道心という言葉の意味だと思うと伝教大師は、1200年前に説かれたのだと思います。
先日、令和天皇がご即位なされました。その言葉の中に、国民に寄り添い、国民の幸せをお祈りされるとありました。まさに人々が、仕事に励むことができることが道心に気づくことであると思います。
「国宝とは何物ぞ、宝とは道心なり。道心有るの人を名づけて国宝と為す」
道心(どうしん)とは道を修めようとする心、仏教においては仏道を究めようとする心です。この道心をもって生活することができる人が国の宝であると示されています。
例えば、自分の仕事を自己に与えられた天命と心得て、打ち込む人こそ道心の持ち主でしょう。どんな仕事でも、このような人は限りない喜びを仕事の中に見いだし、生き甲斐を仕事の中に感じることができるに違いありません。「自分という人間はいかにあるべきか」を追究し、自己の理想や目標を定め、その実現に向かって努力すること、そのような人生の道を歩む心でいる事です。
このような人が国中に充満すれば、国は栄え、社会は浄化され、物も心も豊かになる世界が実現します。したがって、伝教大師の御心は、一個人の完成のみならず、道心ある人々を育成し、国全体、ひいては世界中に及ぶことを願っているのです。
ところが現在の有り様はどうでしょう。自分のことばかりではございませんか。自分さえよかったらと言う社会の流れです。是れでは対立をうむだけです。
本来仕事というのは、人の役にたつためにするものです。そして仕事の代償として給料をいただくものです。その給料に多い少ないに頓着するから、悩み苦しみが生じて来る。人に迷惑をかける犯罪が後を絶たない。
少ない欲で足ることを知る。是れこそが世の中が栄えるのではないかと思うのですが、間違いでしょうか。人の為に尽くす是れが仕事であり、道心という言葉の意味だと思うと伝教大師は、1200年前に説かれたのだと思います。
先日、令和天皇がご即位なされました。その言葉の中に、国民に寄り添い、国民の幸せをお祈りされるとありました。まさに人々が、仕事に励むことができることが道心に気づくことであると思います。
Posted by 住職日記 at
08:45
人は、自分の目で自分の姿を見ることはないです。
それゆえに、自分の事では無く、他人のことばかりに目がいってしまうものです。自分の目でその姿、行いを見ることができない。
人に言われないと、気付けないことが多々あります。
自分を見るということは、言葉を変えれば、自分自身を「反省することです。
仏教を語ることは、「百の説法より、ひとつの実行」。行動が伴っていないといけないです。
修行で最も大切なこと、3つあります。
①「聞くこと」。
②考える」こと、
③「修める」こと。
この3つを合わせて「聞思修」といいいます。
例えば、とても為になる良い話を聞くことがあったとして、ただただ納得して、それで終わってしまうものです。
口だけだっり、聞くだけだったり、で終わるのではなく、ちゃんと手足、体を使って善根を積むことが、悩みを作らない生き方だと思います。
お寺参りは、心の中の煩悩を取り払い、気持ちを楽にして、手足、体を動かしことが健康につながることです。そして、自分の中の仏様に出会えるのではないかと思います。
それゆえに、自分の事では無く、他人のことばかりに目がいってしまうものです。自分の目でその姿、行いを見ることができない。
人に言われないと、気付けないことが多々あります。
自分を見るということは、言葉を変えれば、自分自身を「反省することです。
仏教を語ることは、「百の説法より、ひとつの実行」。行動が伴っていないといけないです。
修行で最も大切なこと、3つあります。
①「聞くこと」。
②考える」こと、
③「修める」こと。
この3つを合わせて「聞思修」といいいます。
例えば、とても為になる良い話を聞くことがあったとして、ただただ納得して、それで終わってしまうものです。
口だけだっり、聞くだけだったり、で終わるのではなく、ちゃんと手足、体を使って善根を積むことが、悩みを作らない生き方だと思います。
お寺参りは、心の中の煩悩を取り払い、気持ちを楽にして、手足、体を動かしことが健康につながることです。そして、自分の中の仏様に出会えるのではないかと思います。
Posted by 住職日記 at
20:47
御十夜を迎えるまでは、どんな法要にしようか、お供え物とか、ローソク、供華、などなどたくさんのことを考える日々が続きましたが、終わってしまえば、なんだか気が抜けたようです。
当日は、お天気もよく、気温の方もちょうどよかったです。
この法要は、今年一年無事なる暮らしを感謝するために開催しています。御利益は、人々の健康と各家の繁栄を願います。
先祖様のお名前を500霊をお唱えして、ご詠歌を奉納します。
僧侶にとっては大変です。高座に上って、先祖様を声高らかにお呼びし、先祖供養するのです。そして、ふじ文を唱えます。
御十夜をお参りの結んでいただいた人々の幸せになってもらえることです。
当日は、お天気もよく、気温の方もちょうどよかったです。
この法要は、今年一年無事なる暮らしを感謝するために開催しています。御利益は、人々の健康と各家の繁栄を願います。
先祖様のお名前を500霊をお唱えして、ご詠歌を奉納します。
僧侶にとっては大変です。高座に上って、先祖様を声高らかにお呼びし、先祖供養するのです。そして、ふじ文を唱えます。
御十夜をお参りの結んでいただいた人々の幸せになってもらえることです。
Posted by 住職日記 at
10:59
延命十句観音経は、この経を読むと、霊験で大病が完治したと言われています。
常・・無常の世の中で今を大切にする
楽・・他者、過去と比較することなく、今おかれている状況を冷静に受け容れる
我・・自と他との隔てなく主体的に生きる
浄・・自己と周りが慈悲の心で満たされる
是れが四字熟語となって、常楽我浄と言います。いわゆる、観音様は、私たちひとり一人が安楽に、幸せに生きることを願っておられます。
したがってこの経を読むと、日々観音様を念じ、そのみこころが感じとれるようになれば、おのずと功徳が授かるのです。そして今度観音様になるに心構えで、まず周囲の有縁の人々に慈悲の心を示せれば、幸せに導く事になるのです。
観世音 南無仏 与仏有因 与仏有縁 仏法僧縁 常楽我浄 朝念観世音 暮念観世音 念々従心起 念々不離心
と何度も繰り返し唱えてみていください。唱えることでm悪い物をはきだし、体に仏の教えを吸収することになるのです。
常・・無常の世の中で今を大切にする
楽・・他者、過去と比較することなく、今おかれている状況を冷静に受け容れる
我・・自と他との隔てなく主体的に生きる
浄・・自己と周りが慈悲の心で満たされる
是れが四字熟語となって、常楽我浄と言います。いわゆる、観音様は、私たちひとり一人が安楽に、幸せに生きることを願っておられます。
したがってこの経を読むと、日々観音様を念じ、そのみこころが感じとれるようになれば、おのずと功徳が授かるのです。そして今度観音様になるに心構えで、まず周囲の有縁の人々に慈悲の心を示せれば、幸せに導く事になるのです。
観世音 南無仏 与仏有因 与仏有縁 仏法僧縁 常楽我浄 朝念観世音 暮念観世音 念々従心起 念々不離心
と何度も繰り返し唱えてみていください。唱えることでm悪い物をはきだし、体に仏の教えを吸収することになるのです。
Posted by 住職日記 at
03:31
御十夜とは、日頃の感謝を先祖様に申し上げ、生きとし生けるものの命の尊さをみに感じるために、お念仏を唱えます。また、ご先祖様の法名を唱えて、仏の教えを聞き、心穏やかになります。
たとえば、三界は皆苦なり、四生は楽しみにあらず、一期は仮の住みか、百年の夢のごとく、生あれば滅あり、楽あれば苦あり、盛んなるものはかならず衰う、会者はさだんで離れる、命は草上の露、身は風前のともしびなり・・・・。
生きると言うのははかないものであるが、そんなことで悩むことより、今日をせいっぱい生きることで後悔は残らない。命の大切さを学び、この自分の命を、人々に受け継いでもらえるようにすることが生きがいではなかろうかと先人の思いを学びます。
どうぞお参りください。お待ちしています
たとえば、三界は皆苦なり、四生は楽しみにあらず、一期は仮の住みか、百年の夢のごとく、生あれば滅あり、楽あれば苦あり、盛んなるものはかならず衰う、会者はさだんで離れる、命は草上の露、身は風前のともしびなり・・・・。
生きると言うのははかないものであるが、そんなことで悩むことより、今日をせいっぱい生きることで後悔は残らない。命の大切さを学び、この自分の命を、人々に受け継いでもらえるようにすることが生きがいではなかろうかと先人の思いを学びます。
どうぞお参りください。お待ちしています
Posted by 住職日記 at
08:20
無心とは、花が咲くときがきたら咲き、蝶は飛ぶ時がきたら飛んでいるのです。つまりあるがままの姿で生きると言うことではないでしょうか。自分も相手にもはからがなく、なにひとつ相談ごともありません。自然にそうなっているのです。何もかも自然まかせというのが素晴らしいではありませんか、
人間というのは、損得勘定で生きる動物です。自分の欲するものが、手に入れたいとか。自然に生きられない。
たとえば、寒いときには、たくさん服を着て温かくしたいとか、暑い時にはエアコンをかけて涼しくして過ごしたいとか考えます。もっとしぜんに生きられないでしょうか。
暑かったら、暑いなりに、工夫を凝らすことを知らない。余計な力を使って、苦しさを倍増しています。目的地に早く着きたいために、アクセルをふかして早く着こうとする。是れでは無心なることではない。
無心とはあるがままであり、なるようにしか生きることができない。其れを自分から変えようとするから、余計な力を使ってしまって、命終わるような気がします。
欲が強すぎると、苦しみを生み、しんどいです。息切れもします。マラソンのように力を蓄えながら、走りきることが大切ではないかと最近思います。
良寛様は次を歌を残しています
花 無新にして蝶を招き
蝶 無心にして花を尋ね
花 開くとき 蝶来たり
蝶 来たるとき 花開く
我もまた 人知らず
人もまた我知らず
知らずして 帝則に従う
人間というのは、損得勘定で生きる動物です。自分の欲するものが、手に入れたいとか。自然に生きられない。
たとえば、寒いときには、たくさん服を着て温かくしたいとか、暑い時にはエアコンをかけて涼しくして過ごしたいとか考えます。もっとしぜんに生きられないでしょうか。
暑かったら、暑いなりに、工夫を凝らすことを知らない。余計な力を使って、苦しさを倍増しています。目的地に早く着きたいために、アクセルをふかして早く着こうとする。是れでは無心なることではない。
無心とはあるがままであり、なるようにしか生きることができない。其れを自分から変えようとするから、余計な力を使ってしまって、命終わるような気がします。
欲が強すぎると、苦しみを生み、しんどいです。息切れもします。マラソンのように力を蓄えながら、走りきることが大切ではないかと最近思います。
良寛様は次を歌を残しています
花 無新にして蝶を招き
蝶 無心にして花を尋ね
花 開くとき 蝶来たり
蝶 来たるとき 花開く
我もまた 人知らず
人もまた我知らず
知らずして 帝則に従う
Posted by 住職日記 at
07:05
本来無一物を訳すと、人間何も持たない方がよいと言う。物を持てば執着心ができ、苦しみのもとなる。
物を持つことができれば、幸せなことと言えるのである。今の80代、90代の高齢者は「、物を持たずして生きてこられた。ただ生きることに徹してこられたのではなかろうか。
現代人は、欲しいものがあれば、すぐに購入して、より良い生活を求めて行かれる。だけど、飽きると言う心が生まれ、家の押し入れに追いやれる。
本当にこれでいいのであろうか。
私は疑問を思う。物にあふれて、命の大切さが失われてきているように思います。だから、罰が当たり、不幸な目に遭わされているように思う。
もっと、ものを大切にして行かなければ、此の世のなか、よくならないように思う。
物とは、我が身の鏡のようである。即ち、仏である。仏様は、私たちを見守り、苦しみから救ってくれるのです。
ものを大切にする心が、私たちを幸せに導いてくれるものと信じたい。
物を持つことができれば、幸せなことと言えるのである。今の80代、90代の高齢者は「、物を持たずして生きてこられた。ただ生きることに徹してこられたのではなかろうか。
現代人は、欲しいものがあれば、すぐに購入して、より良い生活を求めて行かれる。だけど、飽きると言う心が生まれ、家の押し入れに追いやれる。
本当にこれでいいのであろうか。
私は疑問を思う。物にあふれて、命の大切さが失われてきているように思います。だから、罰が当たり、不幸な目に遭わされているように思う。
もっと、ものを大切にして行かなければ、此の世のなか、よくならないように思う。
物とは、我が身の鏡のようである。即ち、仏である。仏様は、私たちを見守り、苦しみから救ってくれるのです。
ものを大切にする心が、私たちを幸せに導いてくれるものと信じたい。
Posted by 住職日記 at
08:08
この言葉が、孔子が発せられたのです。なかなか味にある言葉です。
人間、生涯ひるまない心で生きることは至難な道です。それは、悲しみにあえば、断念する心が生じます。病気、天災、事故、は前触れもなくやっています。そんなとき、進もうとするとき、大きく妨げます。
中学生が次を唱を作られた。
おそろしいこと
困難にぶつかることよりも
人に裏切られることよりも
つらいことよりも
かなしいことよりも
苦しいことよいよりも
もっと恐ろしいのは
あきらめてしまう
そこですべてが終わってしまうから
貫くとはあきらめないことであり、教えを大切に、思いやりの心で生きている限り貫いていくこの信念を持ち続けて生きたいものです。
人間、生涯ひるまない心で生きることは至難な道です。それは、悲しみにあえば、断念する心が生じます。病気、天災、事故、は前触れもなくやっています。そんなとき、進もうとするとき、大きく妨げます。
中学生が次を唱を作られた。
おそろしいこと
困難にぶつかることよりも
人に裏切られることよりも
つらいことよりも
かなしいことよりも
苦しいことよいよりも
もっと恐ろしいのは
あきらめてしまう
そこですべてが終わってしまうから
貫くとはあきらめないことであり、教えを大切に、思いやりの心で生きている限り貫いていくこの信念を持ち続けて生きたいものです。
Posted by 住職日記 at
08:32