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Posted by 滋賀咲くブログ at

2021年01月23日   有頂天にならないように

ひとは、みな、有頂天になりやすい。努力して頂点にのぼり詰めれば、苦しかったことを忘れて、、ひとをあごで使い、恨みをもたれる。最後には、奈落の底に落とされてしまい、非常に哀しい生き方をせねばなりません。謙虚なこころ、感謝の心を忘れ、ひとを支配するようになる。こうなれば、人生おしまいです。もう長くは続きません。此が幸せというものでしょうか。幸せの定義は人それぞれですので、一概に言うことができません。
お金でだけが人生ではありません。ないものの幸せがあるのです。人とひとがいかに支え合うかであります。
都会の真ん中で、八十歳代のお母さんと六十歳代の娘さんが、暮らしておられました。隣近所とは疎遠で、幸せそうに暮らしているとみられていて、声をかけないで、いたそうです。その後一ヶ月が立ち、その方のポストに新聞がたまっていて、少し変だと思い、警察を呼んで、部屋を開けて見たら、二人が餓死してなくなれておられたそうです。ほんと哀しい事がおこったものです。
あるがあまま、ないもままで生きている方がどんなに楽に暮らせるでしょうか。


Posted by 住職日記 at 21:58

2021年01月20日   今年の法華千部会の厳修について

昨日の企画会議で、1日法要として、開催されることになりました。
今、社会は、コロナ感染で、仕事、学校、家庭の絆が失われようとしています。そんななか、仏さまへの祈りと、僧侶の導きが問われています。
僧侶は、知識人であり、人々への寄り添いをすることが第一でないかと思います。
そういうときに、毎年法華千部会を開催して、世界平和祈願と宗祖の報恩を人々に示すために、法華経を唱えて、心の安心を得て頂いています。



Posted by 住職日記 at 08:48

2021年01月16日   今いのち有るのがありがたいと思う

コロナが、毎日新聞、ニュースで、さわがれています。毎日、新規感染者の数が増え、いっこうに治まることがない。一体どうなるの。都知事は人ととの接触は、できる限り少なくするようにとメーセージが届くが、人々はいうことを聞かない。
人は、生きています。働いています。それをなくすことなんかできるはずがない。なぜなら、収入が途絶え、生きて行くことができないから。
家から外にでなくては生きていけないのです。不要不急を自粛といっても、収入がなくなれば、食べられない、暖房もできない。飢え死にするしかない。寒い季節には、暖房がなければ、凍え死ぬ。
死んでしまえば、人々は後悔するだろう。なんであのとき、外にでることをしなかったのだろう。働いていれば、生き延びたかもしれない。
いのちを落とすより、家族を守ることができたならば、それは本望ということであると思います。
今は、コロナに打ち勝つことを考える事だと思います。
今は、細心の注意こそが、生き延びる事ではないかと考えます。
 手洗い、うがい、マスク、部屋の換気は、生き延びるための手段だと思う。どうか人々の健康を心のそこからお祈り致します。
無事でいて下さい。コロナ終息後に、出会いたいと思っています。


Posted by 住職日記 at 10:57

2021年01月02日   あけましておめでとうございます

昨年の三十一日に降った雪で、当山の初詣は、大変でした。昨年のより少なく、百六十名でした。年年すくなっています。元気なお年寄りが、少なくなっているかあ。と感じています。
 当山は、工夫を凝らしています。今年は、手書きのカレンダーを百枚作りました。参詣者にご自由にお持ち帰りくださいといって、六十人の方に持って帰って頂きました。
 朝から、昨日の雪で、氷点下の本堂に参るのは、ほんとにつらかったと思いますが、私は、百六十人方と出会えた事が宝です。ほかに出会えなかった方には、三日の午前中、各家を訪問して、みなさまのお顔と出会えさせて頂きます。
これこそ持ちつ持たれつだと考えています。
 私は、僧侶として、多くの人々と出会い、そして学び、感じることだと思います。少しでも、生きていくために励ましになると善いと考えて活動をしています。
僧侶はお布施を頂いて生きていますので、人のやくに立てればと日々研鑽しています。


Posted by 住職日記 at 19:19