この広告は365日以上更新がないブログに表示されます。

Posted by 滋賀咲くブログ at

2019年05月29日   人身受けがたし ―誕生の不思議

私が、いまここにいることが、摩訶不思議(まかふしぎ)です。広い地球の、広い日本の、広い滋賀県のここに、人のいのちを受けて、いまを生きています。
 この父、この母を縁にして生まれてきました。この父が別人だったら、この母と夫婦の契り(ちぎり)がなかったら、私は永遠に生まれてくることはありませんでした。
 この不思議としかいいようのない因縁は、親と子という二世代だけのものではなく、無始以来の先祖までさかのぼっていきます。
 「盲亀浮木」のたとえ話があります。
 いつも大海の底にいて、100年に1回海面にあがってくるという盲目の亀がおりました。その浮き上がってきた時にたまたま穴のあいた浮木(うきき)にぶつかって、その穴に亀の首がはまったという話です。人間にうまれてくること、ほとけの教えにあうということは、これほどのできごとだというたとえであります。実際こんなチャンスがありましょうか。ありえないということがあったという話です。その証拠が、いまここに生きている私たちであると教えられています。
 『法句経』に
  人の生を うくるはかたく
  やがて 死すべきものの
  いま いのちあるは 
  ありがたし
一回きりの人生、大切に生きようではありませんか


Posted by 住職日記 at 10:01

2019年05月28日   煩悩とは

人間には、欲望を多い生き物です。その数は、108あるとされ、一つの欲を満たせば、又欲が生まれてくる。その欲は苦しむものです。まるで底なし沼に足を入れるようなものです。
私も、欲を満たしたいと日々苦しんでいます。あれが欲しい。ホテルでコースを食べたい。海の幸が食べたい。旅行に行きたい。車が欲しい。温泉にいきたい。あれもこれも手に入れたい。
欲の根元は、貪り、怒り、愚かな心から生まれて来る。
之れを静めるには、お経を称える、写経をする。掃除をする等の実践である信じています。
今、私は、人々の幸せを念じることであると日々修行しています。
そして、おだやかな人生を送ることだと考えています。


Posted by 住職日記 at 06:31

2019年05月23日   家も生き物です

家は、木の家族だと思います。なぜなら、何十本の柱や板、そして梁が住んでいるからです。
柱にも相性があって、気が合わないもの、合うものといて、それを大工の力で、組み合わす事で、一軒の家ができるのです。
雨風で、柱が傷つけば、治療を施す事がしなければ、家が倒れてしまうのです。その治療はその家に住む家族が治してやらなければなりません。
私は、今布施で生かして頂いています。だから、その布施で直す事だと思っています。布施は、人々が幸せになるために使わなければならないと考えています。


Posted by 住職日記 at 10:46

2019年05月22日   身口意とは

私たちの日常生活には欠かせない者です。身とは身体であり、口とは食べる行為で在り、意とは心であります。この三つで、私達は生きているのです、どれが欠けても生きていけないのです。
ところが、この三つに災いが出て、苦しむのです。口からは、相手を傷つける言葉を吐きます。心では、相手の怨んだり、ねたんだりして、余計に苦しむのです。
 お経では、三毒といって、悪い事につながり、心の正常さをなくし、後悔にさいなまれて、生きて行くことの難しさを感じるのです。だから懺悔をして、悔い改めて生きなおしていくのです。
それが経文です
 我昔所造諸悪業  皆由無始貪怒痴 従身口意之所生
 一切我今懺悔
 を言う経文を唱えて、身を清め、口を清め、心を清めて、生きていクノです。
僧侶は、人々の手本にならなければならないのfです。又人々の幸せを祈る者です。



Posted by 住職日記 at 08:20

2019年05月20日   八苦について

生きとける者には八つの苦しみがある。生老病死の苦しみと愛する者への別れ、怨みを持つ者との出会い、欲しいものが得られない苦しみ、身体と心がゆえの苦しみです。これは、此の世に生きていく苦しみである。この苦しみから逃れることができない。
だけど、お寺は、その苦しみから逃れるためにあるのです。
お寺には、修行をしたお坊さんがいて、いつも、お釈迦様の教えを聞いて、改めて、生き直す事ができるのです。
 今日までに、何百人のかたと出会い、生きる目的を学んでいかれたことに感謝しています。


Posted by 住職日記 at 18:08

2019年05月14日   心に願いを持って生きる

人間は、心に願いを持って生きています。幸せになりたい、お金が欲しい、家を建てたい、会社で働きたい、車を買いたい、等など目的を生きています。これは仏様の心にかなう生き方を努めて行くのです。すると暗闇の中から、「・・・ありがとうございました」と穏やかな
声がかえってきて、いつの間にか人影が見えなくなるのです。
般若心経を写経すると、心穏やかに日々暮らせるようになる気がします。



Posted by 住職日記 at 00:10

2019年05月06日   令和元年にはいっての10連休

年号が改まって、身も心を一新されて、何か生まれ変わったみたいです。そんな折、玉泉寺に朱印に訪れていただきました。感謝です。
先ず、焼香をしていただきます。悪い心を払い出し、令和の心をいれていただきました。
お寺は、生きなおす道場で在り、釈迦の教えを聞いて、心一新になるところです。怖い地獄に墜ちないようにするところです。
みんなが幸せになれば、仏様が喜び、仏様の御利益があるのです。
そういう私と出会いませんか。いいものをプレゼントいたします。



Posted by 住職日記 at 11:32