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Posted by 滋賀咲くブログ at

2021年05月31日   生きているということ

朝目を覚まし、夕方には目をつむる、これがいきているということなのか。
私たちは、いづくにか、jこの世に生を受け、同世代とともにいき、また荒野の中の中の風のごとく、いずくにか去って行くということです。
大地は永遠にいき続いていますが、この大地の上に生きている私たちは限られた期間しか生きる事ができない。思えば、人間が作ることができる歳月は短いものです。この短い時間をどう生きるということが大きな問題です。
 人間生きる事のむづかしさ、また生きていることの素晴らしさを身をもって知らされています。そんな中で、心豊かに味のある生き方をしたいものです。それは、多くのことを学び、多くのことを経験して、経験の積み重ねが智慧となり、智慧の積み重ねが人間としての味を生む事だと思います。
1,他人の心の痛みや喜びを一緒に感じられること
2,人生には死より難しい事があり、それを生き続けること
3,別れよりもっと難しいことは、それはつきあい続けること
4,魅力ある異性が存在するから、この世に生きているのがすばらしいと感じること
5,人間としてせっかく生まれさせてもらったのですから、せめてこの世に生きていることの本当の意味をかんがえてほしい事を願う。
人間がいきることことは、毎日何かに感動して、感激していくことであり、昨日は気づかなかったものに、今日は新たな発見をして、感動する。としともに顔にしわを作りますが、心に中にしわを作りたいものです。感動はお金では買えません。社会的な地位や肩書きも一切関係ありません。一生悟れなくてもいい、感動いっぱいのいのちを生きたいものです。


Posted by 住職日記 at 06:09

2021年05月29日   馬鹿になれ

人間というのは、賢く振る舞う動物である。他人に、偉そうにする。これだから、失敗したら、恥かしくなって、もう立ち直れなくなる。これは、生きる事を放棄しななくてはならない。これってほんとにかなしい。
 最初から、僕は馬鹿なんだ。と思えば、人生楽に生きて生ける。僕は、なにもしらない。人に劣るんだと思えば、人においつくために頑張って勉強する。物事を学ぼうとする。
 賢く見せるから、しんどくなる。はじめから、馬鹿を演じていると、親しみやすくなって、たにんのほうから、寄ってくる。それが生きていて、最高の喜びになるのである。
 だから、馬鹿になって、いきてみたらどうでしょう。勉強させてもらう気持ちが大切ではないでしょうか、そうしたら、大願成就できるのではないだろうか。


Posted by 住職日記 at 06:56

2021年05月28日   ご縁

ご縁って異なもの。
朱印に来てくださる信者さんとの出会いは、ありがたいものです。なぜなら、仏教が説ける唯一の時間だからです。私の話に耳を傾けていただけるからです。今の世の中、時間を惜しんで、働き過ぎる人ばかり、ちょっとは、少しゆとりを持ってください。せっかく生きているのだから。又別の生き方に、出会えるかも。昔の人は、のんびり生きていたように思います。
 のんびり生きていると、禍も会うことがないかもしれない。あまりにも、先を急ぐから、禍に出会うのです。のんびりしていると、向こうから禍がこないよ。
 仏さまにてをあわし、拝めば、禍は、私の目の前から去ってくれるかも。と信じて生きていただきたい。それが、人々の安穏なる暮らしになるのです。


Posted by 住職日記 at 06:46

2021年05月26日   願い

私たち人間は、「願い」を持っている。給料の多い仕事に就きたい。いい暮らしがしたい。いい大学に入りたい。かっこの良い服が着たい。おいしいものを食べたい。等々様々な願いを持っています。だけど、それを叶えるには大変な努力をしなければなりません。
仏教では精進という言葉で入っています。精進イコール努力です。血がにじむような努力をしなければ、成し遂げられないのです。
僧侶も、努力しないとなることができません。怠ける心(懈怠)を起こしてはいけないのです。
朝、夕にお経を唱えるのも、人々の安穏を祈ることだけれども、自分の修行のためであります。毎日、お経を読み続ける事で、お経の言葉を知ることであります。たとえば、仏所護念という言葉が、お経のなかにたくさんでてきます。その意味は、至る所に仏さまがおられて、私たちを護っていただけるということです。
 だから、私が人々の前で説いているのは、悪いことをしたら、罰が当たるということです。このよに生を受けたなら、良いことをいたしましょう。親切で、他人への思いやりをもてば、必ず幸せを導いてくれるのです。
願いは、生きて行くためには必要な事です。願いがなければ、人間向上しないことです。向上というのは仏さまになることだと思います


Posted by 住職日記 at 07:24

2021年05月25日   平凡な繰り返し

朝起きて、本堂で読経して、人々の安穏を祈る。それから朝ご飯を食べ、今日すべき事を計画して、実行する。
そして、十一時に大鐘をついて、人々に時を知らせる。昼ご飯を食べ、午前中の続きをする。今は、庫裏の修繕に大工さんと打ち合わせと大工さんの手伝いをして、汗をかく。夕方、本堂で読経をして、今日一日の無事を感謝する。
夕ご飯を食べ、十一時頃、就寝。
となんの変わりようのない一日です。
こうして、同じ事を同じように繰り返しているから、毎日が安心して過ごして生けるのです。と思うとこの一日の平凡な暮らしが大変ありがたいと思えてきます。

そんな時、朱印に訪れてくるお客様が参拝されると、日頃の思いをお伝えできて、うれしく思います。



Posted by 住職日記 at 10:12

2021年05月20日   早くも梅雨入り

まだ、5月というのに、梅雨入りに入りました。毎日、うっとしい日々が続きます。家の中は、じめじめして、生き苦しいです。なんとかならないものかと思うのですが、どうしようもない。だけど、風が家の中を通り抜けると、安らぎます。これが生きているよろこびなのでしょう。
いつもいやなことがつづくものではない。ひとときの安らぎを求めることができるのです。
いまや、便利の良い世の中です。お金さえあれば、快適な暮らしができるのです。だけどコロナ禍で、仕事をなくしている人々には、そんな快適な暮らしができない。まして、感染する人々は、生きる苦しみを与えます。感染すれば、仕事にはいけないし、家族の生活にままならないのです。どうしたものか悩みます。安らぐことなく、地獄の苦しみに遭うのです。その地獄から抜け出すには、相当な苦労がつきまといます。そう思うと感染予防は必要になるのです。できるだけ外出しないことかなあと思うのですが、仕事に出なければ、給料が入ってきません。マスク着用、消毒、うがい、手洗い励行ではないでしょうか。そして、あまり人としゃべらない事かな、
こんな時、仏教では、少欲知足という経文を思い出します。意味は、少ない欲で、足ることを知るということです。欲望は、必要最低限に抑え、今生きていればそれで良い。三食食べられば、それで良い。屋根の下で、家族が暮らせれば、それでいい。エアコンをつけたいとか、おいしいものを食べたいとか、どこかに旅行をしたいとか、様々な欲はすてて、、家族団らんに暮らすことができればよい。それが幸せを享受できることではないでしょうか。たくさんを欲を満たそうとすれば、地獄でくるしまなければならないが、みんなと一緒に暮らすだけでいれば、そこは極楽ではないでしょうか



Posted by 住職日記 at 10:07

2021年05月17日   写経が奉納されました

先日、七福神のお参りで、写経をお勧めさせていただきました。
写経は、心の精神統一するとか、何か問題を抱えたときに、写経をすると、気持ちが楽になりますよということで、写経用紙をお持ち帰りになられました。
 そうしたら、本日、郵送されてきました。
 大変感動いたしました。
 いまや、コロナウイルスで、悩まれされて入る中で、家にこもり、一心になって、般若心経を書かれたことはすごいことです。おそらく苦労された事でしょう。でも、書き上げたことで、心にゆとりを持たれたのではないかと思います。
願い事は、息災であり、禍から救われる事だと考えます。



Posted by 住職日記 at 15:59

2021年05月14日   きのうの出会い

昨日は、雨上がりで、真夏の暑さを感じる一日でした。
夕方五時頃、ある参詣者が当山にお参りがありました。なにげなく、こられて、私との出会いでした。そんな方を、本堂で焼香して頂き、禍を払って頂き、いつものように、地獄絵図を鑑賞、そして、法話をいたしました。最後に、七福神の朱印を書いて、百八の念珠の由来をお話をして、百八か寺の朱印が頂かれたら、百八念珠を授与することを説明して、笑顔で当山をあとにされました。


Posted by 住職日記 at 10:14

2021年05月11日   本日、当山に朱印参りがあり、感動しました

今日一日、いいお天気でした。昼過ぎでした。ちょうど、私は、庫裏建物(住職家族の居住建物)の改築のため、大工さんの手伝いをしていました。あと少しで、手伝いの仕事が、終わるころ、朱印参りにこられて、あと少しで終わりますので、10分くらいお待ち下さいとお伝えしました。
すると、私の仕事を手伝っていただきました。なんというありがたいと思いました。袖すり合うも多生の縁に感動しました。
それで、本堂を開け、焼香に火を入れ、参詣者の禍を払っていただきました。1回目は仏に感謝。2回目は、みんなの健康。そして3回目は、自分の健康を祈っていただきました。
そして、地獄絵図を見てみただき、閻魔様に裁かれて、生前中に行いを戒めました。
最後に、百八霊場の朱印と、七福神」の朱印を押させていただき、交通安全の御守りステッカーと、私のイラスト入りも色紙を授与いたしました。
そして、喜んで帰ってもらいました。
ほんとに、私にとって、感動する一日でした。
お寺は、人々がお参りして、笑顔で帰って頂くことです。きて良かったという感想を導くところです。
又来てくださいねとお伝えすることができれば最高の幸せではありませんか。
お寺は、縁を結ぶところです。そして、良い思い出を作るところです。


Posted by 住職日記 at 20:14

2021年05月07日   四諦八正道とは

四諦八正道とは、お釈迦様の教えです。平たくいえば、この生きている世界は、苦しみばかりです。四苦八苦という言葉があるように、
生老病死の苦しみ、怨憎会苦、愛別離苦、求不得苦、五蘊盛苦の言葉があるとおり、この世に生を受けたなら、必ず感じる苦しみののです。
その苦しみから解放されるのが八正道という教えなのです。八正道とは、八つの正しい教えです。いわゆる正しいことを行うことなのです。
たとえば、うそをつくとしましょう。一つうそをつくと、人はみな苦しむのです。うそをつけば、穏やかに暮らすことができないのです、うそがばれやしないか、毎日、おびえてくらせなければなりません、うそをついたら、素直にごめんなさいと謝れば、、それだけで安心できるのです。でもうそをつきとおせば、他人を苦しませ、その他人の人生をかえてしまうのです。法華経に、素直という言葉がたくさん出てきます。
素直に生きるということが、どんなに難しいか。お釈迦様は、そのことを悟られたのです。
だからこそ、お経を繰り返し読むことで、悟りをわかるようになるのです。
一度、当山にお参り下さい。新たな出会いで、心安かになります。



Posted by 住職日記 at 09:53