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Posted by 滋賀咲くブログ at

2015年08月31日   法話会の開催について

今年一月より法話会を開催しています。八月で八回目を開催しました。 時間は、午前八時半としていましたが、用事のある方は、出てしまいます。出来るなれば、用事の前に来てもらえるからいいかなと考えますので、九月より、毎月十五日午前7時半に変更しますので、仕事に行く前に聞きに来ていただいて、元気になって仕事に行けるようにします。
 内容は、仏の話やよもやま話で、元気の出る話をしようと思いますので、来て下さい。



Posted by 住職日記 at 09:11

2015年08月31日   憎まれっ子世にはばかる

 子ども時代、腕白小僧であったものが、成人してかから、出世する。親から全く期待されていなかったにも関わらず、成功している人の例をは多くあります。人から憎まれているものに限って、案外、世の中で幅をきかせているものでです。
はばかるというのは、立ちはだかって幅をきかせているという意味です。
 悪いものほど栄えるもので、草で言えば、雑草のようなものが、はびこるに似ています。ところが毒草変じて薬となるということがことわざが有りますが、毒なる薬草が薬に変じて有益になるものです。
 佛教では、この雑草となるのが、煩悩徒と説いています。しかも煩悩が強いほど、また悟りもまた深いということです。限りなき人間の煩悩を立断ちきるとき、悟りもまた限りなく深いものです。しかも雑草は次から次へと生えてくるもので、夏草の茂り方はものすごく、植木を枯らせて
しまう勢いです。夏にかけて農家は草との戦いです。
 同じように私たちも煩悩という雑草によって仏性がむしばれてしまうのです。髪の毛やひげ同じで、たえず剃ってこそ、心身清らかになるのです。ほっとけば毎日伸びて、むさ苦しくなります。
 概しておとなしくて、人にかわいがられるような子は、身体も精神も良好です。これに対し、いたずらをしたり、乱暴をしたり憎まれる子は、たいてい、身体も頑健であり、精神もたくましいものです。
 世に出てからも生活力が人一倍強く、成人してからもこのような人は、人の憎まれるような生き方をします。がまんならない話ですが。その旺盛な生活力に圧倒されてどうにもなりません。ここから表題のことわざが生まれています。
 これから先、たくましく生きたいものです。


Posted by 住職日記 at 08:03

2015年08月30日   跡取りの子どもについて

家を継ぐべき子どもは、とかくお人好しのところが有ると言われています。これは決して間が抜けているとか、おろかだとというのではなく、こせこせしないおうようなところ有ると言ったものです。私も同じです。
そこで法華経に長子窮子のたとえ話があります。窮子というのはこの世をさまよっている息子のことです。
 昔インドに何不自由のない金持ちががおりました。たった一人跡取り息子があり、その息子は、蝶や花よと育てられましたが、ある日、家出をしてしまいました。そこで、長者は自分の『財産を全部処分したお金で。いろいろな国を次から次へと子どもの姿を求めて、探し回ったが、子どもを見つけることが出来ませんでした。その後、十年むなしく過ごした後、これまでと違った国で商売を始めました。たちまちに億万長者となり、豊かな生活をするようになったのですが、見失った子どものことを忘れることができません。
ある日、長者の家の門の前で一人の貧しい物乞いが立ち寄りました、長者は一目見てその男を自分の子どものなれの果てということに
気づきました。しかし若者はそれが自分の父親だとは夢にも思いませんでした。・・・・・・・・・・その若者を、長者の仕事を覚えさせ、国中にパーテイをして自分であると宣言した話です。
ここでいう長者は仏であって、息子を衆生です。息子は仏になることを知らずに、迷いの姿を見て哀れんで、次第に方便を持って成仏させるという話です。この話でわかるように、人はみな仏になることが出来るのです。


Posted by 住職日記 at 07:35

2015年08月29日   懈怠の松の剪定おわる

八月二五日より四日間で、二百五十年になる松を剪定していただきました。業者は、高島市安曇川町沖田 勝田造園さんに依頼させていただきました。当山の松は、二百五十年の歴史のある松、地上から高さ五メートル以上で、由緒ある松です。本当に感謝申し上げます。剪定後の松の写真を載せます

見事でしょう。また、本堂とマッチしています


Posted by 住職日記 at 07:35

2015年08月28日   仲間について

仲間は、生きる力である。愚痴をこぼしたり、笑い合ったり、泣き合ったり、不満をぶつけたりなどなど。語り合うことで智慧が生まれて、経験を重ねて行くことは、大切なことである。
失敗してもそれを語ることで、二度と失敗しない智慧が生まれて、元気になるのである。
仲間を大切にして生きて行こう


Posted by 住職日記 at 08:51

2015年08月27日   ペットについて

今、ペットに癒やしを求めている人が多い。少子高齢化社会の中で、子ども達が親元を離れ、独立されているケースが多い。そんな中、子育てを終えた人たちは、ペットとの出会いが多くなっています。マスコミでも、ペットの報道が多くなり、人々は、ペットに関心を示している。
ペットは、かわいくて、家族の一員にされてきている。
そんななか、いきとし生けるものは、必ず、往生はつきものである故に、供養をしたい人がいる方にであうことが多い。
今、思うに、供養できる塔が有れば、喜ばれるような気がします。
 人を含むペットも生きる喜びを感じて、年を老いて、亡くなり、そして仏に生まれ変わり、私たちの厄いを除いて、救われます。供養できる塔まで、手をあわすことができれば、人々は救われ、元気でくらすことが出来ると考えます。先人の知恵で、生きる喜びを感じられることがありますので、ペットの供養が求められているのではないかと感じます



Posted by 住職日記 at 07:24

2015年08月26日   日日是好日

 来る日も来る日も楽しくて平和な良い日が続くことを願って、一日を大切に生きることです。
 ただ今、檀徒様の米寿を調べに歩いています。人生八十八歳までいられることは、しあわせなこです。そういう人たちと出会ってお話を交わしていると、その人の苦労話がよく聞きます。決して順風満帆な生き方をしてこられなかったことが聞き取れます。苦労があって、今を幸せを感じておられるのです。今ほど、口の達者な人はいません。寡黙です。他人に愚痴をしゃべることありません。誰もが、胸に飲み込んでいて、年を重ねられているのです。だから偉いのです。年が重ねられる幸せがめでたいです。皆様もどうぞ、年を重ねていただき、多くの出会いを求めて暮らしてください


Posted by 住職日記 at 14:02

2015年08月25日   慈悲心について

悪事を己れに向かえ、好事は他に与え己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり。と最澄は一千二百年前に言われた言葉です。
この慈悲は、1200年前と同じ社会でないかと推測されますが、いい言葉であります。
ものの豊かさで、心がない。会話の中で、忙しいという言葉が多く使われます。各人が幸せを求めすぎて、他人を置き去りにされています。昔は、みんな同じという思いが、失われているように思います。私が幼少の頃、田畑中心の暮らしの中で、隣近所がアットホームな風域でした。今、鶏をこなしたのでおすそわけがありました。みんなが幸せを共有していました。
今はどうでしょう。そんな言葉かけが少なくなってきました。そんな社会を今築くことが求められています。慈悲の眼で視れば、幸せは海のように広がっていきます。


Posted by 住職日記 at 19:00

2015年08月24日   今年も24時間テレビ盛会でおわる

 このテレビ、私が、福祉に携わって、始まったテレビです。ちょうど福祉は、恵まれない人たちを支えるという風土から、高齢社会に入っていくときに、障害を持つ方々をいかに支えるかと課題を国民みんなで考えるきっかけをしてくくれたテレビでした。私も、アルバイトで福祉に関わらせていただいたことから始まりました。高齢者、障害者の方々と出会い、多くを学ばせていただきました。それから三十年の月日がたったのが不思議です。今、住職をしながら、福祉のことを考えることは、大変ありがたいです



Posted by 住職日記 at 08:32

2015年08月23日   つなげる

いい言葉です。人と人がつながって行くことは、生きて行く上に置いて大切なことです。人は一人では生きられない。目に見えない者につがって生きているのです。いわゆる仏様です。亡くなられたが、仏に生まれ変わり、一年、三年、七年、二十三年というふうに、節目ごとに追善供養すれば、良い方向に導いてくれるのです。願いは叶えれないかも知れないが、自分をまもり、幸せの道に導いてくれるのです。
どうか、先祖様を大切にされてください、きっと幸せになれると信じて、生きてほしいです。


Posted by 住職日記 at 20:41