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Posted by 滋賀咲くブログ at

2016年08月31日   今日で8月が過ぎ去ります

ほんと、早いですね。「光陰矢のごとし」とことわざの通り、日々の過ぎ去るのが早いです。
台風10号もようやく温帯低気圧にかわり、北海道から出て行きました。長い間、人々に不安を与え、マスコミにから命を守る行動を促していました。しかしながら、大きな被害を出さずに、過ぎ去りました。この時の過ぎ去りは、早く行って欲しいと願うが、一日の早さは、あまりに早いとむなしく感じます。
 ほんと、不可思議なことです。あるときは、ゆっくり進んでくれ。あるときは怖いものは早く過ぎ去ってくれと言うのです。
 人間は、実に勝手な生き物です。でもこれが人生です。いいことはゆっくりと苦しいことは、早く立ち去ってくれ。というのが本音です。
そんな時、お寺参りはいいものです。時間が止まった感じがします。そして、自分を振り返り、見つめ直すと、今までの人生に修正ができ、生きなおすことが出来きるかも。



Posted by 住職日記 at 07:30

2016年08月30日   台風10号の影響で、大雨の夜を過ごしました

私の住む西日本では、大雨がふりつづきましたが、まだ以前と変わらない大型の台風です。東日本の人たちには、まだまだ気の抜けないと思いますが、台風が小さくなることをお祈りしています。
 今までにない現象が起こり、人々の心が乱れてきています。この原因は、地球温暖化の影響と言われています。猛暑の夏であったり、大雪をもたらせれたり、短い春であったり、ひとたび雨が降ると、川が氾濫して、家や田んぼが流されたりして、人々の暮らしに被害をもたらされています。
 これは、自然が怒っているように思われます。あまりにも自然の摂理を無視しすぎて、欲望のまま生きている人間に警鐘を鳴らしているような気がします。
人間よ。ちょっと、立ち止まって反省せよ。といわれているように思われます。
 子ども時代には、便利なものがなく、自然と共に生きていたように思います。今では、すべて便利な暮らしです。エアコン、車、スーパー、など。便利な生活の副作用で、空気が汚れ、山の木が倒され、災害と人々の幸せが一瞬で壊される。
 これを見直して、原点に返れと自然は教えてくれているのではないかと考えます。
 人生でも、立ち止まって考えることで新たな道が見えてくるというように、私たちも立ち止まって振り返ることも大事なことではないでしょうか。


Posted by 住職日記 at 06:50

2016年08月28日   素直で心柔らく生きよう

この言葉は、法華経のなかに「質直意柔軟」という熟語が有ります。意味は、素直な気持ちで、心柔らかく生きていければ、必ず亡き人の姿を観ることが出来、自分の願いが叶えられるということです。
望みを叶えられるために質直意柔軟の心でいることです。いわゆる無心の心です。
故人が支えてくれるから、自分というものがあることを気づいて欲しい。それこそ、先祖を思うこころがあれば、失敗をおそれず生きられるのです。失敗こそ成功の源で有ります。
 故人をわが心の外に求めるのではなく、自分の心の中に見つけていただきたい。


Posted by 住職日記 at 08:03

2016年08月27日   やっと雨が降りました

梅雨明けして、30日ぶりの雨が降りました。体感温度39度と上がりぱっなしで、本当に苦しい毎日でした。田舎では、畑に水がなくなり、困り果てていました。今日は、ようやく恵みの雨をいただき、生き延びることが出来ました。
 ところが、あるところで夏祭り、また、近くのお寺では、十日講と雨が降っては主催者には、残念なことです。1ヶ月以前より計画して、当日が雨というのは無常です。思い通りには運ばないのがあまりにも悲しいです。なぜ、今まで雨が降らなくきたのに、なぜ降るのと怨み節をつい、いってしまう。
 人生とは、泣いて、怒って、悲しんで、そして喜ぶものである。だから、生きていくんだ。無表情で生きるのはもっと悲しいです。
喜怒哀楽があるから、楽しく生きられるのです。そう思うと、自然と同化して生きて行くことが大切ではないかと考える。今の暮らしはあまりにも自然環境を無視して、暮らしやすいように変えてしまうから、狂っているから、人生思い通りにいかないのではないかと思います。


Posted by 住職日記 at 07:48

2016年08月25日   近くの住民が玉泉寺に訪れる

昨日、九時ごろ、一人の方が、玉泉寺にお参りされました。その方は、お地蔵様を、地蔵盆にどのようにしてお祀りしたらよいのかわからないので、教えてくださいといって、お参りいただきました。
それで、本堂に入ってもらい、体の悪いものを払い出して、体に良い香りを嗅いでもらい、自分の健康を祈ってくださいと、焼香をしてもらいました。
 その後、体を浄めてから仏の世界に入って、たくさんの仏さまに出会っていただき、元気をもらっていただきました。
 さらに、極楽、地獄の別れ道の話を聞いていただき、日々のよもやま話をして、心元気になって、また来ますとお帰りになられました。
 仏の話に興味を持っていただき、また来ますを聞いて、私はうれしく思いました。なにやら、仕事をやめてお寺専従してよかったとこの日ばかりは感謝した一日でした。


Posted by 住職日記 at 06:22

2016年08月23日   過ぎ去った日のことは悔いず

ある日、突然、入院したり、交通事故にあったり、生死をさまようようなことがおこったりします。
不運災難はどこに待ち受けているかわかりません。
人生には何が起こるか予想はつきません。明日死ぬと言うことも、全くないとは言えないでしょう。しかしそうだとしても、私たちは誰もそれを予知することができないのです。
人間の命ははかないものです。だからこそ、いま 何が最も大事なのかをよく判断しなければなりません。
過去をいつまでも悔やんでいるのはむなしいことです。でも未来のことばかり夢見たり、逆に明日を心配ばかりしているのも愚かなことであるとお釈迦様は説いているよ。
いまを、大切にして、出来ることを一生懸命やって悔いのない生き方をしたいものです。



Posted by 住職日記 at 13:25

2016年08月22日   笑いが人生を豊かにする

 笑いは、健康を増幅させることは、多くの知識者は述べています。
ムードメーカーというと、自分から率先して笑いを振りまく人というイメージです。吉本新喜劇の芸人達や落語家は、そうだと思います。
勝手に変な歌を作ったり、しょうもないギャグをいってみたり、それをみてみんなが笑っていることが、幸せなんです。
 そもそも意識して誰かを喜ばせようとしたってうまくいきません。何をされたら、うれしいかは、人それぞれ違います。良かれと思って、やったことが裏目に出て、逆に傷つけてしまうこともあるかもしれません。
 だから無理に笑ってもらおう元気づけようとするんじゃなくて、自然体でいいのです。
自分が楽しい気分でいれば、その空気が周りに伝わり、自然と笑いが起こります。
 自然体がいいのは死後で仕事でもおなじです。へんに意識して頑張り過ぎると失敗することがあります。
 私なんかしょっちゅうあります。だから肩の力を抜いて生きて生きたいです。


Posted by 住職日記 at 08:33

2016年08月21日   このよの生命は仏のおん命なり

生きていると、様々な生き方に出会います。
うれしいこと、かなしいこと、辛いこと、情けないこと、・・・・
暑いこと、寒いことなど。辛いことに遭うなら、いっそ死んでしまった方が楽だと思ったことも一度も二度ではないでしょう。それでもなお生きてゆかねばなりません。
 この生死は、生老病死のことです。お釈迦様は、これを四苦問い言っています。
 この四苦は、逃げようとも逃げられない。捨てようにも捨てられない。地位や財産を投げ出しても誰も代わってくれない。
 人として生まれた故に最後まで背負っていかねばならないのが人生の苦しみなのです。
今聞いたことも忘れ、忘れたことも忘れてしまうのが中高年ということを誰かがいっていました。と笑っているうちは幸せなのです。
 というように生命は、仏のおん命をいただき、生きるからありがたいのです。


Posted by 住職日記 at 07:11

2016年08月20日   とにかく暑いですね

お盆は無事終わり、また四十度近く上がる暑さが続きます。これは私たちの試練です。この試練を乗り越えなければ、幸せがやってきません。我慢、我慢の忍の一字で過ごさなければなりません。
 でも、昨日、午前中、仏教会の托鉢で歩くと、一升以上の汗をかき、脂肪が溶け出し、ダイエットに役立つのですが、その分水を飲んだり、、食物を食べ過ぎます。結局はおなじことです。まして、エアコンがないので、横になって、休むことが出来ないです。とにかく用事を造って出あるいています。
 そんなとき、高齢者夫婦をお宅をおしゃべりに行ったとき、明日、托鉢にお参りに来られるので仏さまのお花を買いに行きたいと言われたので、その方を車に乗せて、平和堂にいきました。
 大変良い行いをしました。これこそ人が喜んでもらえる実践です。暑い中の善の行いです。今日の暑さが吹っ飛びました。


Posted by 住職日記 at 07:10

2016年08月18日   お盆が終わり、仏教会の托鉢が始まる

7代前までのご先祖様の供養を皆様方にしていただいて、心が満たされ、ご先祖様が喜んで、天上界に戻られました。そうしたら、雲を呼び、雨を降らしていただき、私たちを焦熱地獄から救っていただきました。これこそ、ご先祖様の御利益です。私たちは、仏さまに守られていることだと思います。
この地域では、超宗派で集まっている仏教会では、毎年、行っている托鉢をしています。この托鉢も半世紀以上、人々に浸透しています。天台の門徒様は、お盆でご先祖様をお迎えするするために、各家をまわりますが、浄土真宗の門徒様には有りませんので、この仏教会の托鉢を利用して、各家の仏壇で、お経を称え参ります。家の方も、何代もされていて、ありがたいと感じられています。
 ところが、少子高齢化の波で、旧家が空いてきて、淋しくなって来て
います。今新聞で出てきています寺院滅亡と言う言葉が出てきています。いわゆる、檀家がなくなり、お寺を受け継ぐお坊さんがいなくなってきています。まして、お坊さんが生きていく道が絶たれようとしています。なんと嘆かわしいことです。仏さまがいるから、私たちが安心して暮らせるのです。人生を謳歌することが出来るのです。
私の寺は、7福神と観音霊場があり、多くの方が参詣されて、仏の教えを聞いていただき、喜んでいただいています。お寺は生きなおす
ところ、皆様の心のよりどころなのです。その寺がなくなるのは、さぶしくてたまりません


Posted by 住職日記 at 04:44