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Posted by 滋賀咲くブログ at

2018年11月19日   深く己を省みる

私たちは、毎日生きています。そして、生きている以上、よいことばかりは続きません。必ず、悪い事が起こり、どん底に墜ちて、何かもいやになります。それこそ投げやりになります。わたしも在りました。そんな時、振り返り、原因を突き詰めようとします。でもわかりません。
是れは、毎日の積み重ねから出てくるものであり、順調に進みすぎると、思い上がりの心が、反省をしないで暮らすのではないかと考えます。
明日に礼拝、夕べに感謝という言葉があります。朝起きたら、朝日を拝み、今日一日どうぞよろしくお願いしますと祈り、そして、夕方になれば、今日一日無事に過ごさせていただいてありがとうございましたとお礼を述べるというふうにしたら、うまく生きられるのではないでしょうか。人間のする事なんて小さいものです。それを大きいものにするから、うぬぼれ、そして失敗するのです。まずは己れことを考えることが大切なことです。


Posted by 住職日記 at 07:15

2018年11月11日   御十夜終わる

昨日、御十夜おわりました。御十夜とは、十日十夜念仏を称えて、修行すると言うことです。元は、浄土宗の開祖法然上人が始められた行事です。法然上人が生きられた社会は、人々の暮らしが貧しく、飢え、病気そして人が死んでいく姿を目の当たりにされた法然上人は、なんとか救いたいという気持ちの表れが、念仏という行動を起こされたのです。それで、秋の深まりゆく時期に、お堂に籠もり、念仏を百万遍称えられて、浄土宗の本山知恩院が建てられたのです。是れが真盛上人が取り入れられたのです。そして、高島では、玉泉寺だけが、300年続けられています。
私の子どもの頃、庫裏で、信者様の女性の方々が、一汁三彩の献立で、食事をつくり、お昼をよばれてあと、念仏を称えられたのです。
今年の説教は、落語をしていただきました。信者様には楽しんでいただきました。
参詣者の心の垢を落とされたのではないでしょうか。
ほんとに感謝申し上げます。


Posted by 住職日記 at 06:09

2018年11月04日   人生朝露の如し

この言葉が、人生は無常であるとい意味です。時が過ぎゆくように、私たちの日一日年を取るのである。一秒、二秒と、時間が過ぎて行きます。一秒が六〇秒になると、一分となり、一時間となり、いつの間にか半日が過ぎ、そして一日を終えるのです。刻々と時間が過ぎ、そして私はいつの間にか年を取り、髪が白色となり、しわが増え、年寄りになる。そして死に近づいているのです。朝露を作り、次第に露が蒸発してなくなる。是れって寂しさを感じます。
 先日、新聞で、20年来、ボランテイアで活躍されていた方が、なくなっていました。私は驚きました。年も70代でした。ああ、人は皆、年を取り、そして、なくなっていく。是れが現実なのです。
だから、今を生きようではないか。今、なすべきことをする事が大事なのです。ぼうとして生きているのはもったないです。



Posted by 住職日記 at 06:52