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Posted by 滋賀咲くブログ at

2016年10月19日   写経について

 昨日、写経をしに本堂に参詣されました。この方は、毎月一回、時間を作ってこられています。
 写経は、心が洗われます。そして、経文を一字一字を書いていると、心が静まります。自分だけでなく、ご主人、義父、子どもの息災を念じ、地域の安全を祈る。これが仏の境地に達する。
 このような心が、今の社会には要なのです。そうすれば、すべての人々が救われて、安心して暮らせるのです。でも、欲望は、人間を堕落させます。その欲望を、小さくさせるのが、仏の修行です。その修行は経文を写すことである。
 経文を写すことは、心を磨くことであり、過去の自分を見つめて、そして前へ前進することであります。
 どうぞ、お参りください。いつでもお相手します。


Posted by 住職日記 at 08:07

2016年10月18日   ある金持ちの家の話です

 ある金持ちの家の子どもが何を思ったか、家出をした。長い年月が経って、家に戻ってきた。ところが、あまりにも変わってしまって、家に入ることが出来ない。金持ちのお父さんは、すぐに呼び入れようとするが、中に入ったら、何かされるのではないかと疑い入れない。
そこでその父は、身なりのきたない使用人に使いにやり、お前を使ってやるから、帰っておいで。といって、家に入れ、便所掃除の仕事を与えた。そうするとその子は喜んで家に入り、一生懸命に働き、そうして副社長に出世して行った。
 このたとえ話は、金持ちの父は、これなら大丈夫と思って、実はこれは自分の子だ。これから自分の後を継がせると社員に言ったそうです。
 子どもには、修行をさせろということです。そうでなかったら、三世代以上家が続かない。お釈迦さまは、真実を説いています。



Posted by 住職日記 at 07:41

2016年10月17日   昨日は、大蔵経会法要を成就されました

 好天に恵まれて、18年に一度、檀家数十二戸の長盛寺での大蔵経法要を成就されました。すごいです。大蔵経は、中国から伝わる書物です。一千冊あります。これを、一冊ずつ本を開き、尊い法を、参詣者説き、生きる道を解き明かす法要です。この大蔵経は、宗派の中でも高島の18ヵ寺が共同で所有していません。貴重な法要です。まして、どんなに小さいお寺でも会場にして、開催出来ることは喜ばしいことです。お寺、境内を整備して、先人たちが、地域の安穏を祈りたてまつるために、仏様を安置して、守り続けてこられた遺産を後世の人々に受け継がれています。高島は、離島の孤島に位置づけられているだけに、18ヵ寺の壇信徒の皆様が心一つになって、生きていけよとメーセージを出しているのではないかと感じています。
これからの社会、少子高齢化どんなに寂しくなる恐れをあるなかで、大蔵経法要は出来る幸せを感じられる高島にして行きたい。


Posted by 住職日記 at 07:40

2016年10月15日   はるばる三重県より阿弥陀如来の朱印参拝される

朝から、三重県より、阿弥陀如来のお軸をもって、参詣成されました。
この方は不治の病におかされていて、今日までの生き方の懺悔する目的で朱印に歩いておられるということです。
今、こうして歩いていると、命が延命されているとお話されています。
そうして、お軸に参詣されたお寺の御朱印をいただかれていました。
不思議な出会いです。また、私どものお寺を気に入っていただきました。


Posted by 住職日記 at 12:06

2016年10月14日   人間の深い縁は不思議な出会いだ

私たちは、不思議な出会いで、幸せであったり、不幸であったり、様々な人生があります。これは、誰も予想できないものです。だからいいのです。
 もし不幸であったら、それを覆す勇気を持って、頑張ります。また、幸せであったら、その幸せを守るために努力をもって、維持しようとします。そして、縁は、深くなればなるほど、家族のきずなとなって、人生を豊かにして行きます。そして次の世代へといのちを伝えて行きます。
 弥勒菩薩は、五六億七千後に仏の生まれ変わる伝説があるというのは、五六億年まで、いのちをつないで行って欲しいとお釈迦様は、こころやすらいで生きて行って欲しいと「願っています。
 人生は、生老病死苦があるがゆえ、いかに心やすらいで生きて欲しいということである。



Posted by 住職日記 at 08:20

2016年10月13日   一切の有情は、みなもって世世生生の父母兄弟なり

 親鸞聖人は、父母の孝養のためとて、一返にても念仏申したること、今だそうらわず。その故に一切の有情はみなもって、世世生生の父母兄弟なりと説かれている。
 意味は、すべての人々は、ご自身の父母を供養するために、念仏をを申すことは一度のない。なぜかというとこのよに生をもっているものすべて父母兄弟であると申されている。 
 これはいったいどういうことか。
 世に父母と言えば、これは自分の父母であると誰でも考えるのでしょう。ところが親鸞聖人は、そうではないという。いきとし生けるもの一切が父母である。
 亡き人即ち仏様は、今を生きる人々を遠くから見守っていただいています。ならば堂々と見つめられて恥じない日々を過ごさねばならない。ッと言うことであります。
 私たちは幾千万の人々が父母兄弟であると悟られています。即ち幸せな念仏を称えることが、父母への念仏であるとわたしは確信しています。



Posted by 住職日記 at 07:44

2016年10月12日   悪事を己に向かえ、好事を他に与える

この言葉は、最澄の言葉で有ります。
 悪いことを自分に引き受け、好いことは他人に回すという意味で、悪いことは決してしないことを説いているのです。
 ところが、娑婆世界ではどうだろうか。悪いことを他人になすりつける風潮がある。大変悲しいことである。誰かが無責任体制を憂いでいる。
 他人のことを考えてあげるのが、慈悲の心なのです。慈悲の心で生きれば、みんな幸せに生きられるのではないでしょうか。


Posted by 住職日記 at 07:07

2016年10月11日   連休明けで、再出発で、生きて行こう

休みというのは、あっという間に過ぎ去る。これが無常です。これから苦難の日が続く。でも苦難を耐え忍ぶことで、また楽しいことが広がります。
 わたしも、お寺でこの休みに多くの参詣者に出会い、喜びの顔に会わせていただいたことはありがたいことです。
 人は一人では生きていけません。多くのご縁で生かされるのです。

   人間は、深い縁の不思議な出会いです。

出会いがあるから、楽しく生きられるのです。



Posted by 住職日記 at 08:10

2016年10月10日   千手観音像の修復を終え開眼法要をする

昨日、佐賀の菩提寺において、千手観音像を修復を終え、観音堂にお戻りいただきました。
 千手観音さんは、千本の手のそれぞれの掌に一眼をもつとされることから来ている。千本の手は、どのような衆生をも漏らさず救済しようとする、観音の慈悲と力の広大さを表している。
所願成就のために、香を焚き、花を供えお経を称えすることです。
法要中、仏の花びらが振り、参詣者に多くの幸せが訪れた気がします。



Posted by 住職日記 at 10:26

2016年10月09日   連休の2日です

本日は、となりの区の観音様の修復を終えて、お帰りする日です。
お帰りいただくのは、午後2時です。その時には、ころもをまとって、観音経をお唱えします。そして仏の花びらが舞い落ちて、荘厳な世界が広がります。これに出会われた人は、幸せなことでしょう。
 このよに生きる私たちは、仏様のご縁で生きていますので、皆さんで手を合わしましょう。


Posted by 住職日記 at 07:04