2021年07月24日    衆生の迷い、根本は我見なり

この娑婆世界に人間は、つまらぬ事で、毎日あれこれと迷い苦しんでいるものです。何故迷うかはその根本は我見というものであります。それでは、我見というのは、執着心です。つまり、ほしいものを手に入れたいという欲を貪り、得たものは手放したくないという心です
手に入れられなかったら、腹を立て、周りの人に怒り、迷惑をかけるのです。時には、法律を犯し、犯罪を犯すのであります。困ったものです。お金がなくて、万引きをするとか相手と争うとか、他人に迷惑をかけるのです。
迷いというのは、自分を中心にして世界を観察することで有り、快、不快の感情を表すのです。とくに不快とうのは、厄介な事で、居心地を悪くして、自分の悪い感情に周りの人に振りまくのです。こうなったら、そこから逃げ出しくなる。
 お釈迦さんは、無我の境地をいたることを説いたのであります。自我の反対語は無我であり。これこそ悟りの心です。
僧侶は、お経を説いて布施を頂く。それが、欲を出すので、布施の額を決めて、強制するのです。これを我欲である。そして相手を苦しませるのです。僧侶は、相手を苦しませるのではなく、苦しみから解放させることが、お経を読み、法を説いて、相手をリラックスさせるのです。苦しんでいる人を話をよく聞いて、相手を救うといったら、おこがましいのですが、あいての心に寄り添ってあげることではないでしょうか。
先日、栗東から泣きにこられて、そして、心を明るくして帰られました。これこそが僧侶のあるべき姿だと確信しました。



Posted by 住職日記 at 06:30