2018年02月27日    仏道を成就すると言う意味について

何かを志して、目標を達成できたこともあれば、途中で挫折してしまったということもあると思います。
例えば勉強のことで、しっかりできて結果に満足したという時と、まあまあでやっぱり後悔します。当然そこはやる気次第です。
そのやる気のスイッチが入らないと出来ません。
親が子供に勉強せよといってもやる気を起こさせるのは難しい。
その結果、子供のやる気は出なかったわけです。
自分がやる気になるかならないかは、人に促されることよりも、やはり本人の自覚がないとだめなのです。
しかし、そこはまだ入り口であり、無事にスイッチを押すことができても、そこからは親も周りも見守るしかない。
後は本人がどれだけ努力を持続できるかどうかです。何事も持続することによって物事は成就していく、つまり願いが叶うのです。
この話の中で、登場する子供は凡夫である私達であり、子供のためになんとかしてやりたいと想う親の姿は仏様の慈悲であります。
仏様はどうにかして、私達を導いて救おうと考えておられます。
仏様の教えを自分がどれだけ持ち続け、生活することができるか、信仰を持続することができるかが大事なのです。
勢いよく燃え上がっても、すぐに冷めていくような信仰ではいけません。人は何歳になっても勉強です。 学ぶことはたくさんあります。
色々な経験をすることも必要です。
そこに仏様の教えをプラスして、自分の目指すことが成就できると言います。
「やってやれないはずがない。やらずにできるはずがない。」
自分が納得いくところまでやる。それが成就に繋がるということです。



Posted by 住職日記 at 06:28