2015年06月13日 無常
北の交通事故、南の災害と悲しみの日々がなんとも嘆かわしいことが続きます。私たち、どんなに楽しそうに見える人でも何かしら、苦しみ、憂鬱というものを抱えている。どんな人でも、
病気、老衰や死から免れることができない。誰でもが、苦しみながら一歩一歩墓場に向かって歩いている。これが人間の姿である。人生というのは、間違いなく、そうある以上、必ずそうでなければならない原因というものが当然ある。私たちが確かにある。なんとなく確信している。この人生そうであらねばならない数多くのいろいろな原因が重なり合って変化している。
私の目の前に今、茶碗が一つあります。この茶碗は変化してあります。この茶碗は一寸した弾みで落ちたとします。それはもう茶碗でなく、セトモノのかけらになってしまいます。また茶碗の形をしていますが、茶碗になる前は山の土だったのです。山の土が焼き物工場に運ばれて、職人の手でこねられて、茶碗になったのです。また。茶碗にならずにお皿になっているかも知れません。茶碗は現在、過去、未来にわたって、永久に茶碗であるとはいえない。
生あるものは変化する。ただ変化するのではなく、縁起、因縁でもって変化するするものです。無常は永遠に変化するものです。
今をせいっぱい生きることが大切なことである。
病気、老衰や死から免れることができない。誰でもが、苦しみながら一歩一歩墓場に向かって歩いている。これが人間の姿である。人生というのは、間違いなく、そうある以上、必ずそうでなければならない原因というものが当然ある。私たちが確かにある。なんとなく確信している。この人生そうであらねばならない数多くのいろいろな原因が重なり合って変化している。
私の目の前に今、茶碗が一つあります。この茶碗は変化してあります。この茶碗は一寸した弾みで落ちたとします。それはもう茶碗でなく、セトモノのかけらになってしまいます。また茶碗の形をしていますが、茶碗になる前は山の土だったのです。山の土が焼き物工場に運ばれて、職人の手でこねられて、茶碗になったのです。また。茶碗にならずにお皿になっているかも知れません。茶碗は現在、過去、未来にわたって、永久に茶碗であるとはいえない。
生あるものは変化する。ただ変化するのではなく、縁起、因縁でもって変化するするものです。無常は永遠に変化するものです。
今をせいっぱい生きることが大切なことである。
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住職日記
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05:49