2014年09月24日 心ここに在らざれば、視れども見えず
私たちは、親にもらった二つの眼で周りの世界を見回して、何の不自由なく暮らしています。しかし、私たちは果たしてこの両眼で正しくものを見ているのでしょうか。どうかすると、虚ろな目で現実を眺めまわしているのでは」ないでしょうか。
佛教には、心眼という言葉があります。この眼は.心を閉じたままではいけないのである。悟りを開くことである。人は、成熟すれば、心の眼が開き、真実の姿が見えて、心安らかになるのである。この二つの眼には、限界がります。嘘を見分けられない。心の眼は、その嘘を見分けられます。自信をもって生きていけるのです。真実を見えるものには、強く生きられるものである。心の眼を開き、老いを迎えましょう。
佛教には、心眼という言葉があります。この眼は.心を閉じたままではいけないのである。悟りを開くことである。人は、成熟すれば、心の眼が開き、真実の姿が見えて、心安らかになるのである。この二つの眼には、限界がります。嘘を見分けられない。心の眼は、その嘘を見分けられます。自信をもって生きていけるのです。真実を見えるものには、強く生きられるものである。心の眼を開き、老いを迎えましょう。
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住職日記
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