ラテンの格言に「メメント・モリ」というものがあります。直訳すれば、死をたえず忘れずなという意味です。
私たちは,今生きるのであって死はまだまだ先のこと考えているに違いない。本当にそうなのか。誰が決めたのか。私か、あなたかいや私たちの若さが漠然とそう考えさせたに過ぎない。
私は若い、当分死なない。そうだろうか。しかしこれは不確実なものはない。あらゆるものが、時々刻々流れている。変わり続けているのである。これが永遠の真理である。これを無常という言葉の意味である。
壊れていくことと新たなものが生まれていくことになる。人生はかないいのちという考えは否めない。
お釈迦さまは、諸行は無常であり、無常なるものは,また苦しみである。他方では、人の世にいのちを受けることはがたく、やがて死すべきものの、今いのちあることありがたし。私はこの言葉に感動します。
今私は、死をたえず忘れるなという。それは死を忘れた時、生き方は軽くなることになる。つまり死を考えるということは、同時に生を考えることである。生と死を2つに分けて考えることなく、死によって生が明らかになり、生によって死の問題が浮き上がってくるのである。
「生死一如」といって分けてはいけないのである。だから真剣に努力して生きていかねばならないのである。
私たちは,今生きるのであって死はまだまだ先のこと考えているに違いない。本当にそうなのか。誰が決めたのか。私か、あなたかいや私たちの若さが漠然とそう考えさせたに過ぎない。
私は若い、当分死なない。そうだろうか。しかしこれは不確実なものはない。あらゆるものが、時々刻々流れている。変わり続けているのである。これが永遠の真理である。これを無常という言葉の意味である。
壊れていくことと新たなものが生まれていくことになる。人生はかないいのちという考えは否めない。
お釈迦さまは、諸行は無常であり、無常なるものは,また苦しみである。他方では、人の世にいのちを受けることはがたく、やがて死すべきものの、今いのちあることありがたし。私はこの言葉に感動します。
今私は、死をたえず忘れるなという。それは死を忘れた時、生き方は軽くなることになる。つまり死を考えるということは、同時に生を考えることである。生と死を2つに分けて考えることなく、死によって生が明らかになり、生によって死の問題が浮き上がってくるのである。
「生死一如」といって分けてはいけないのである。だから真剣に努力して生きていかねばならないのである。
Posted by 住職日記 at
07:59