2020年11月02日 秋が深まり、季節が彩る
当山にお参りする方が少し増えた様に思います。大変ありがたいことです。
なぜ、お寺参りするかですが、
京都などは、歴史があり、お寺には新鮮さが有るから、お参りされるのだとおもいます。其れと昔から駆け込み寺という言葉が、残されています。なにか困りごとがあったら、お寺にお参りされるときいたことがあります。
そうなんです。お寺に行けば、助けてくれるという願望があります。
今は、お寺はなんの意味を持たない人々が増えてきているいるように思います。なぜか、通信機能が充実してきているから、お寺に行かなくても、困りごとを解決してくれるからです。大変便利になりました。アナログからデジタルに進歩したことが大きな原因です。
本尊様を拝むという行為が意味がなくなったからではないでしょうか。
また、歴史的産物がないのも魅力がなくなったことから、お寺参りが減少したのだと思います。
そして、お寺に住職がおられないことが大きいです。いつ行っても、留守にしている。
其れは、経済的にお寺では生活ができないから、留守がちで、相談しようと思ってもいないことが大きな原因でです。
当山では、若いころは、福祉の仕事をして、妻と子どもを守ってきました、それが子どもが独立してからは、なんとかお寺だけで生活できるようになったので、仕事を退職して、お寺一本でやっています
今では、朱印で来られる人々とおしゃべりをして、なんとか生計を立てています。
もし朱印がなければ、生活できないでしょう。
人の縁というのはありがたいです。縁で、お寺を守ることができます。
奉仕のこころです。人の為に役立つという思いが、今、私を支えていただいています。
お寺は、住みにくいところでもあります、なぜなら、住まいが古く、冬は寒く、夏は暑い。快適な暮らしにはほど遠いです。ですが、歴史有る建物を守ることは、人の命を守ることであります。世間は、人の幸せを守ることで、経済がよくなり、お金も稼げて、幸せにつながるからです。
古いものを大切にするこころが、現代社会では失われている気がします。僧侶は、その心を喚起させる役割があります。
いかにこころ安らかに暮らせるかを見守り、育てることで、社会は、健全かするのです。
僧侶は、最低限の暮らしの中から、人に喜んでもらえることです。だから、お寺は、開放して行かねばならないとかんがえています
。
なぜ、お寺参りするかですが、
京都などは、歴史があり、お寺には新鮮さが有るから、お参りされるのだとおもいます。其れと昔から駆け込み寺という言葉が、残されています。なにか困りごとがあったら、お寺にお参りされるときいたことがあります。
そうなんです。お寺に行けば、助けてくれるという願望があります。
今は、お寺はなんの意味を持たない人々が増えてきているいるように思います。なぜか、通信機能が充実してきているから、お寺に行かなくても、困りごとを解決してくれるからです。大変便利になりました。アナログからデジタルに進歩したことが大きな原因です。
本尊様を拝むという行為が意味がなくなったからではないでしょうか。
また、歴史的産物がないのも魅力がなくなったことから、お寺参りが減少したのだと思います。
そして、お寺に住職がおられないことが大きいです。いつ行っても、留守にしている。
其れは、経済的にお寺では生活ができないから、留守がちで、相談しようと思ってもいないことが大きな原因でです。
当山では、若いころは、福祉の仕事をして、妻と子どもを守ってきました、それが子どもが独立してからは、なんとかお寺だけで生活できるようになったので、仕事を退職して、お寺一本でやっています
今では、朱印で来られる人々とおしゃべりをして、なんとか生計を立てています。
もし朱印がなければ、生活できないでしょう。
人の縁というのはありがたいです。縁で、お寺を守ることができます。
奉仕のこころです。人の為に役立つという思いが、今、私を支えていただいています。
お寺は、住みにくいところでもあります、なぜなら、住まいが古く、冬は寒く、夏は暑い。快適な暮らしにはほど遠いです。ですが、歴史有る建物を守ることは、人の命を守ることであります。世間は、人の幸せを守ることで、経済がよくなり、お金も稼げて、幸せにつながるからです。
古いものを大切にするこころが、現代社会では失われている気がします。僧侶は、その心を喚起させる役割があります。
いかにこころ安らかに暮らせるかを見守り、育てることで、社会は、健全かするのです。
僧侶は、最低限の暮らしの中から、人に喜んでもらえることです。だから、お寺は、開放して行かねばならないとかんがえています
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Posted by
住職日記
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09:06