2016年04月18日    人の真似ばかりしている人に

友人が、スマホを買ったから私の買う、となりの家の子どもにテレビを買ってやったから我が家でもなどと競い合い、なけなしの金をはたいて無理してまで人の真似をするものをよく見かけるが、そうしなければ、肩身がせまく、つきあいできないと勘違いをしている人が多すぎます。
 こうした競争心や虚栄心のために流行を追い、人真似をしなければ安心できないのは、自らの心が貧しい証拠で、その劣等感を隠し、取りつくろうべく、一生涯人に追従するにもむなしい。
人は、長いものにまかれろということわざがある。権威や流行に屈従することは楽であります。人々は共同生活していく中では、主体的に生きていくことは、ともすると社会の秩序や調和を乱すと考えられてきた。
 グループでレストランに入って、注文するときに、お互いに顔を見合わせて、同じものを注文してしまいます。
 釈迦が晩年、毘舎離の郊外で病に倒れ、やっとのこと回復して、弟子の阿難が師の姿を仰ぎ見て、師が病で倒れたときには、私の総身か力が抜け、四方が暗くなってしまいました。しかし師があとあとのことを何も語らずに逝くはずがないと思っていささかも安堵いたしました。といった。
 すると釈迦は、阿難よ、お前は、私に何を期待している。私はいつも何も隠し立てせず、すべての教えを説いた。もし私が弟子達の指導者であるとか弟子達が私に頼っていると思っているならば、人生最後に当たって、何事かを語り残さなければならないが、いままで語ってきたことがすべてであるといい、されば阿難よ。汝はここに自らをともしびとし、自らのよりどころとして他人のよりどころにせず、教えをともしびとし、教えをよりどころとして、他をよりどころにせずして生きるがよいとさとされたとされています。



Posted by 住職日記 at 07:32